《請求の原因》

序章 はじめに

第1 本件訴訟の意義

1 平成23年3月11日、東日本大震災に伴い、東京電力福島第一原子力発電所から極めて大量の放射性物質が放出される本件原発事故が発生した。それからすでに3年の月日が経過している。しかし、いまだにこの歴史的惨事は継続しており、終わりを見せていない。

なぜ、本件原発事故が終わっていないと言わなければならないのか。それは、第一に、福島第一原発は今も放射性物質を大量に放出すると共に、汚染水を大量に漏出し続け、原告らの郷土や海域の環境汚染は日を追うごとに深刻になっているからである。第二に、本件原発事故によって突然に被ばくの危険にさらされた幾多の人々は、今なお、生命を脅かされ、健康上の不安を抱え、住まいも、職業も、人々とのつながりも、生き甲斐もすべて奪われ、回復の目処さえ立たない状況に置かれ続けているからである。第三に、本件原発事故の真相は必ずしも解明されておらず、被告東電及び被告国の責任が曖昧にされたまま、再発防止策も徹底されず、被害者への賠償も支援策の実施も全く不十分だからである。

東京電力福島原子力発電所事故調査委員会法に基づき国会の下に設置された同調査委員会は、調査報告書の冒頭に「福島原子力発電所事故は終わっていない」と明記した。国会事故調査委員会が調査を尽くした末の現状認識は、まさに原告らの素朴な認識と重なっている。


2 本件訴訟は、本件原発事故により被った被害について、被告東電及び被告国に対して損害賠償を求めるものであるが、原告らは、全国で現在もなお約15万人を数える避難者のうち、この遠き愛媛県の地に避難してきた者とその家族らである。愛媛県下には約200人の人々が避難していると推計されているが、一人ひとりの原告らが抱える苦難は実に様々である。

突如として平穏な生活を破壊されたこと、あたかも難民のごとく転々と避難する日々を強いられたこと、これまで長年にわたって培ってきた職業や社会的立場を失ったこと、それぞれの生き甲斐を喪失してその回復の目処が立っていないこと、友人や同僚をはじめ人と人の絆が容赦なく分断される憂き目に遭ったこと、大切な家族との別居・別離を余儀なくされる事態となったこと、心安らかに暮らすことができたかけがえのない日常と平穏な環境が踏みにじられたこと等々、それぞれが背負っている苦難は筆舌に尽くしがたい。

とりわけ、放射能による健康被害への不安は、言いしれぬ恐怖となって襲いかかり、原告らの心と身体を今も蝕んでいる。原告らは、本件原発事故によって被ばくの危険にさらされたのであるが、「放射性物質による放射線が人の健康に及ぼす危険について科学的に十分に解明されていない」(東京電力原子力事故により被災した子どもをはじめとする住民等の生活を守り支えるための被災者の生活支援等に関する施策の推進に関する法律【子ども・被災者支援法】1条)ことから、「東京電力原子力事故に係る放射線による外部被ばく及び内部被ばくに伴う被災者の健康上の不安」(同法2条3項)を、脳裏から消し去ることなどできず、これから一生背負い続けなければならない。また、「子ども(胎児を含む。)が放射線による健康への影響を受けやすい」(同法2条5項)ことから、子どもへの健康への悪影響は、本人及び親にとって、特に重くのしかかる苦悩である。

福島県の県民健康管理調査検討委員会のまとめ(平成25年8月20日発表)によると、甲状腺がん検査の結果、甲状腺がんと確定診断された子どもは18人、がんの疑いがあるとされた子どもは25人にのぼる。がんと本件原発事故との因果関係は公式には不明とされているものの、こうした痛ましい現実を直視すれば、原告らが主張する恐怖や不安が、社会通念に照らし合理的根拠に基づいていることは明らかである。

これら数々の被害は、ひとえに人間の尊厳を著しく損なうものであり、原告らの訴えは、憲法上保障される人間の尊厳の回復を求めようという、実にまっとうな願いにほかならない。


3 しかるに、被告らはこの事態を直視しようとしない。

そもそも、原子力発電は、環境中への拡散が許されない放射性物質を扱うことから、これを完全にコントロールして封じ込めることを絶対条件とするものであって、各種関連法制に基づく国の深い関与の下で稼働が許されてきた。特に我が国は、世界有数の地震列島であることから、大地震や大津波のリスクもかねてから指摘されており、被告らにとって、自然災害に対する安全性の確保は重大な責務であった。しかし、実際には、原子力発電の推進という国家目標のために、国の規制機関と電力会社が一体となって「安全神話」といわれる非科学的な幻想を打ち立て、原子力発電の経済性等を重視し、安全をことごとく犠牲にしてきた。その結末が本件原発事故である。したがって、被告らが厳しく責任を問われるのは当然の結果である。


この点、被告東電については、原子力損害の賠償に関する法律3条に基づき無過失責任を負うことから、法的に損害賠償責任があることは疑いの余地はなく、被告東電もそれを否定していない。しかし、被告東電は、自らの手による福島原子力事故調査報告書でも開陳しているように、本件原発事故の主因はあくまで想定外の自然災害によるものであるとして、自己の過失や違法性を率直に認めていない。このような法的責任をはぐらかす態度が、被害者への賠償に対する消極的姿勢(いわゆる「直接請求」における「東電基準」の低廉性や、文部科学省の設置した原子力損害賠償紛争解決センターでの拒絶的な対応など)につながっている。また、福島第一原発で何が起きたのか真相は必ずしも明らかではないが、被告東電の隠蔽体質が、本件原発事故の真相究明の妨げになっている。国会事故調査委員会のほか、政府が設置した事故調査委員会でも、被告東電の責任は厳しく指摘されており、本訴訟を通じて、真相を白日の下に晒し、被告東電の行為の違法性を明確にする必要がある。

一方、被告国については、原子力損害賠償支援機構法2条で「国は、これまで原子力政策を推進してきたことに伴う社会的責任を負っている」と明記し、また、子ども・被災者支援法3条でも「国は、原子力災害から国民の生命、身体及び財産を保護すべき責任並びにこれまで原子力政策を推進してきたことに伴う社会的な責任を負っている」と自認していることから、その社会的責任は疑いない。しかし、法的責任については、まったく認めようとせず、被告東電に対応を押し付けているのが現状である。社会的責任にしても、子ども・被災者支援法が成立してから既に1年9か月が経過しているにもかかわらず、同法に基づく支援策は未だ実施されておらず、苦しむ被災者を長期間放置し続けてきた。これも、被告国が、自らの法的責任を否定し、本件原発事故の当事者として事態に向き合う姿勢を欠いているところに由来している。被告国は、数々の規制権限を有し、また、自然災害による原発への危険や、過酷事故(シビアアクシデント〔SA〕)に対する知見を保有していたにもかかわらず、被告東電に対する規制権限の行使を怠り、また、規制内容の改善を放置した結果、本件原発事故を招いたのであるから、その法的責任は明白と言わなければならない。


4 以上を踏まえ、原告らは本件訴訟を提起した。原告らは、賠償請求にとどまらず、本件訴訟を通じて主として以下の5点の実現を希求している。

第一に、被告国及び被告東電が、本件原発事故の法的責任の主体であることを明確にし、とりわけ被告国の損害賠償責任を明らかにすることである。

第二に、被告東電による低廉な賠償基準や、原子力損害賠償紛争解決センターの限界を打破し、原告らの被害に対する完全賠償を実現することである。

第三に、被告国に対し、本件原発事故の責任主体として、広く被害者に対する恒久的な補償制度の確立を実現させることである。

第四に、原告らの、被ばくの危険から避難する権利、被災地に安全に住まう権利、帰還する権利を等しくかつ十分に実現し、原告らの自己決定を尊重すると共に人間の尊厳を回復することによって、子ども・被災者支援法で打ち立てた理念を現実化することである。

第五に、本件原発事故の原因を徹底的に解明し、再発防止策を徹底させ、この地球上で、二度と同じような惨事を繰り返させないようにすることである。

本件原発事故を招いた責任の一端は、これまで数多く提起された原発関係訴訟において、ことごとくその請求を退け、被告国や原発事業者らの原発推進・安全軽視を容認する結果を積み重ねてきた司法の消極的姿勢にもある。本件原発事故後、そうした指摘が各方面から数多くなされてきたことは司法関係者も周知のとおりである。

だからこそ、本件においては、原告らの請求を認容するにとどまらず、原告らの声を率直かつ真摯に受け止め、上記の切実な願いがあることへの理解を求めたい。

平成7年1月17日に阪神・淡路大震災が兵庫県において発生した。当時、阪神・淡路大震災の被災者は、地震で被災しただけでなく、国の不十分な施策や被災者を冷遇する諸制度によって、復旧・復興の過程でも数々の苦難を味わってきた。愛媛県においても兵庫県下から数多くの被災者が避難してきたが、石手寺などにおいて被災者救済の活動を継続してきた。本件原発事故に係る同種訴訟は全国各地で提起されているところであるが、この愛媛の地においても、個々の被害者の被害の質や内容は違っても、人権を回復し人間の尊厳を取り戻す方向性は、皆、いささかも変わらないという信念がある。御庁に対しては、原発事故で傷つけられた多くの人々の人権の回復の支えとなり、憲法理念に忠実な審理を求めるものである。

以下、原告らの請求の具体的内容を詳述する。

第2 当事者

1 原告ら

原告らは、本件原発事故によって放出された放射性物質に汚染された区域に居住していた者たちである。原告らは、放射性物質による低線量被ばくの危険にさらされる生活を余儀なくされたため、世帯の全員が愛媛県内への避難を選択したか、あるいは、母子のみが愛媛県内への避難を選択し、夫はやむを得ず上記区域にとどまった者たちである。

 各原告らの本件事故発生前の居住地は本訴状添付原告震災時住所目録記載のとおりである。

2 被告ら等

(1)被告東電について

被告東電は、電気事業等を営む法人である(資本金9009億円)。東京都をはじめ8県に電力を供給し、平成22年度の販売電力量は、日本全体の約3分の1に当たる2934億kWhに及んでいた。本件原発事故を起こした福島第一原発に計6基の原子炉施設、福島第二原発に計4基の原子炉施設、新潟柏崎刈羽発電所に計7基の原子炉施設を有している。

 なお、平成22年度の売上高は5兆3685億円、総資産は14兆7903億円であった。


(2)被告国について

被告国は、国家賠償法上の賠償義務者であり、本件訴訟においては法務大臣が国を代表する。

 本件に関する原子力規制との関係において、所轄機関は以下のとおりである。


① 経済産業省は、経済産業政策、産業技術などを所管する行政機関である。経済産業省設置法4条1項で、「エネルギーに関する原子力政策」(54号)と「エネルギーとしての利用に関する原子力の技術開発」(55号)が同省の所掌事務とされていることからわかるとおり、日本の原子力政策において中心的役割を果たしてきた。実用発電用原子炉および研究開発段階にある発電用原子炉に対する設置許可は経済産業大臣の権限である。


② 文部科学省も、原子力安全に係る規制行政を行っていたが、試験研究用および研究開発段階にある非発電用の原子炉に対する設置許可等を権限としている。


③ 資源エネルギー庁は、経済産業省の外局であって、エネルギーの安定供給政策や省エネルギー・新エネルギー政策を所管する。


④ 原子力安全・保安院は、原子力その他のエネルギーに係る安全及び産業保安の確保を図るため、経済産業省の外局である資源エネルギー庁の特別の機関として平成13年に設置された。なお、保安院は本件原発事故後の平成24年9月19日に廃止され、原子力安全委員会とともに、原子力規制委員会へ移行している。


⑤ 原子力委員会は、原子力基本法に基づき、国の原子力政策を計画的に行うことを目的として、昭和31年に総理府に設置された審議会である。昭和53年にその所管の一部が原子力安全委員会に分離され、平成13年以降は内閣府に設置されている。


⑥ 原子力安全委員会は、原子力の安全確保の充実強化を図るために、昭和53年に原子力基本法等の改正により、原子力委員会から分離、発足した内閣府の審議会等の役割を果たしてきた。なお、現在は、保安院とともに廃止され、原子力規制委員会へ移行している。


⑦ 独立行政法人原子力安全基盤機構(JNES)は、原子力安全に関する専門家集団として、原子力エネルギーの潜在的な危険性から国民の安全を確保することを目的として、平成15年に設置された独立行政法人である。


【図】出典:原子力規制委員会平成25年2月「原子力規制委員会及び新安全基準骨子案の概要」の『これまでの原子力規制組織』より

⑧ 原子力規制委員会は、本件原発事故後の平成24年9月19日、原子力規制委員会設置法に基づき、環境省の外局として、原子力利用の安全確保に関する施策と事務を一元的に所管する機関として新設された

第1章 本件原発事故に至る経緯

第1 日本の原子力政策

1 「政・官・財」主導で始まった原子力事業

 原子力事業の起源をさかのぼると、昭和13年に核分裂が発見され、昭和17年に世界で初めて原子炉が臨界の状態に達した。その後、アメリカやイギリスをはじめ、世界では様々な研究が次々と発表されていったが、第二次世界大戦の敗戦後、連合国の占領下の日本では、原子力の実験的研究が禁止されていた。そのため、当時の日本では原子力に関する先進的な研究はなされず、原子力事業は存在していなかった。

 その後の昭和27年4月に発効したサンフランシスコ講和条約では、日本の原子力研究を禁止する条項は含まれておらず、原子力研究は全面的に解禁となった。国会でも、昭和29年3月2日、同年度の予算案の修正として、3億円が科学技術振興費にあてられ、総額2億6000万円の原子力予算が盛り込まれた。政府は、昭和30年11月14日に、日米原子力研究協定を締結し、同協定に基づく原子炉の研究機関として、同月30日、財団法人日本原子力研究所が設置された。並行して、通商産業省には、昭和29年6月19日、原子力予算打合会が設置され、日本初の海外原子力調査団派遣の実施と、昭和30年7月の研究炉建設の「中期計画」が立案された。同年末には、総理府に当初設置されていた原子力局が科学技術庁に移管し、同庁が日本の原子力行政の中枢を担うこととなった。日本原子力研究所と原子燃料公社は、科学技術庁傘下の特殊法人として設置され、前者は原子力研究全般と原子炉の設計・建設・運転、後者は核燃料事業全般を担った。

 他方、産業界も、昭和28年、電力中央研究所傘下の電力経済研究所が新エネルギー委員会(昭和30年6月に原子力平和利用調査会に改組)を設置した。そして、昭和31年3月には、日本原子力産業会議が創立された。また、原子力産業グループの形成もみられた。

 このように、日本の原子力事業は、連合国軍の占領下で研究等が禁止されていた状況から、政官財主導で始まったのである。


2 「国策民営」による原子力事業

 昭和31年1月5日、初代原子力委員長(正力松太郎)が「5年以内に採算のとれる原子力発電所を建設したい」との談話を発表し、海外からの原子炉購入という構想が示された。

 そして、原子力委員会は、翌昭和32年3月7日、発電炉早期導入方針を決定し、英国炉導入を前提とした技術的検討をすることとなった。この英国炉の受入れ主体については、全額政府出資の通産省傘下の国策会社である電源開発株式会社と電気事業者および関連業界を出資者とする民間会社が最後まで争い、政・官・財界の中枢を巻き込んだ論争となった。そして、昭和32年9月3日の「実用発電炉の受入れ主体について」という閣議了解により、官民合同の原子力発電株式会社を設立し、政府20%、民間80%(電力9社40%、その他40%)の出資比率とすることとなり、同年11月1日に、「日本原子力発電株式会社」が設立された。

 また、各電力会社もメーカーとの密接な関係のもとに、原子力に関する調査研究を進めていった。例えば、被告東電は、昭和30年11月、社長室に原子力発電課を新設し、昭和31年6月には東芝・日立の両グループと協力して東京電力原子力発電協同研究会(TAP)を組織した。

 こうして日本の原子力事業は、電力業界が商業用原子力発電事業の確立へ向けて乗り出したことで、「国策民営」の路線をたどることとなった。


3 被告国による原子力の安全規制と「逆転関係」

 前述のとおり、保安院は原子力等の安全を図るために設置されたものであり、原子力安全委員会は原子力の安全確保の充実強化を図るために設置されたものであって、両機関が併存する理由は二重の規制、審査を経ることにより一層の原子力の安全利用を担保することにあった。

 しかしながら、本来国民の安全を守る立場から毅然とした対応をすべき保安院及び原子力安全委員会は、専門性において事業者に劣後していたこと、過去に自ら安全と認めた発電所に対する訴訟リスクを回避することを重視したこと、また、保安院が原子力推進官庁である経産省の一部であったこと等から、安全確保のための規制の強化や制度化には消極的であった。

東京電力福島原子力発電所事故調査委員会、いわゆる国会事故調は、被告東電と保安院・原子力安全委員会の関係について、次のとおり説明している。「本来原子力安全規制の対象となるべきであった東電は、市場原理が働かない中で、情報の優位性を武器に電気事業連合会等を通じて歴代の規制当局に規制の先送りあるいは基準の軟化等に向け強く圧力をかけてきた。この圧力の源泉は、電気事業の監督官庁でもある原子力政策推進の経産省との密接な関係であり、経産省の一部である保安院との関係はその大きな枠組みの中で位置付けられていた。規制当局は、事業者への情報の偏在、自身の組織優先の姿勢等から、事業者の主張する『既設炉の稼働の維持』『訴訟対応で求められる無謬性』を後押しすることになった。このように歴代の規制当局と東電の関係においては、規制する立場と規制される立場の『逆転関係』が起き、規制当局は電気事業者の『虜(とりこ)』となっていた。その結果、原子力安全についての監視・監督機能が崩壊していたと見ることができる。」(国会事故調12頁)。

 なお、本件原発事故の対応過程において、その役割を適切に果たすことができなかった保安院と原子力安全委員会は前述のとおり平成24年9月19日に廃止され、その業務は環境省の外局である原子力規制委員会(同日設置)に引き継がれた。

【原子力安全規制に関する新組織のイメージ案】

【図】出典:内閣官房ホームページ「細野大臣による原子力安全規制組織の見直しに関する試案の発表」 配付資料より

第2 日本の原子力に関する法体系

1 本件原発事故以前に成立していた法律

(1)原子力基本法

昭和30年12月19日、「原子力の研究、開発及び利用を推進することによつて、将来におけるエネルギー資源を確保し、学術の進歩と産業の振興とを図ることを目的」(1条)とする原子力基本法が公布された。

 同法において、原子力利用は、平和の目的に限り、安全の確保を旨として、民主的な運営の下に、自主的に行い、その成果を公開することが規定された(「民主・自主・公開」の原子力三原則、2条)。

 被告国は、同法5条に基づき、内閣府に原子力委員会、及び原子力安全委員会を置き、前者は原子力の研究、開発及び利用に関する事項、後者は安全の確保に関する事項について、それぞれ企画、審議し、決定するものとされている(いずれも本件原発事故当時。なお、昭和53年以前は、原子力委員会が、原子力政策の推進と安全規制の双方を担っていたところ、同年に原子力基本法の改正により原子力委員会と原子力安全委員会の2機関に分離された。)。


(2)原子炉等規制法

昭和32年6月10日、原子力基本法14条に基づくものとして、「原子力基本法(括弧内省略)の精神にのつとり、核原料物質、核燃料物質及び原子炉の利用が平和の目的に限られ、かつ、これらの利用が計画的に行われることを確保するとともに、これらによる災害を防止し、及び核燃料物質を防護して、公共の安全を図るために、加工、貯蔵、再処理及び廃棄の事業並びに原子炉の設置及び運転等に関する必要な規制を行うほか、原子力の研究、開発及び利用に関する条約その他の国際約束を実施するために、国際規制物資の使用等に関する必要な規制を行うことを目的」(1条)とする核原料物質、核燃料物質及び原子炉の規制に関する法律が公布された。

 同法には、原子炉を設置し使用する際の規制について詳細に規定されており、同法によって、加工、貯蔵、再処理、廃棄等の事業は、行政機関の許可や指定を受けなければ行うことができないものとされた。


(3)電気事業法

昭和39年7月11日には、「電気事業の運営を適正かつ合理的ならしめることによつて、電気の使用者の利益を保護し、及び電気事業の健全な発達を図るとともに、電気工作物の工事、維持及び運用を規制することによつて、公共の安全を確保し、及び環境の保全を図ることを目的」(1条)とする電気事業法が公布された。

 同法により、原子力発電所についての電気工作物の変更許可、工事計画の認可、使用前検査、定期検査などは、同法に基づいて行われることとなった。

同法は被告国による規制権限の根拠法であり、詳細は後述する。


(4)原子力損害の賠償に関する法律

昭和36年6月17日、「原子炉の運転等により原子力損害が生じた場合における損害賠償に関する基本的制度を定め、もつて被害者の保護を図り、及び原子力事業の健全な発達に資することを目的」(1条)とする、原子力損害の賠償に関する法律(以下「原賠法」という)が公布された。

 同法においては、原子力事業者が無過失責任を負い(3条)、原子力事業者以外の者は責任を負わないこと(4条、責任集中)が規定されるとともに、賠償責任を迅速かつ確実に果たすようにするため、原子力事業者が原子力損害賠償責任保険への加入等の損害賠償措置を講じることが義務づけられた(8条)。また、7条1項に定める賠償措置額を超える原子力損害が発生した場合、被告国が原子力事業者に必要な援助を行うことも明記された(16条)。


(5)原子力災害対策特別措置法

平成11年12月17日、茨城県那珂郡東海村でJCO臨界事故(同年9月30日)が発生した後、「原子力災害の特殊性にかんがみ、原子力災害の予防に関する原子力事業者の義務等、原子力緊急事態宣言の発出及び原子力災害対策本部の設置等並びに緊急事態応急対策の実施その他原子力災害に関する事項について特別の措置を定めることにより、核原料物質、核燃料物質及び原子炉の規制に関する法律、災害対策基本法その他原子力災害の防止に関する法律と相まって、原子力災害に対する対策の強化を図り、もって原子力災害から国民の生命、身体及び財産を保護することを目的」(1条)とする原子力災害対策特別措置法が公布された。

 同法により、ようやく、実際に事故が起きた場合の電子力事業者及び国等の責務や対応等が定められた。

2 本件原発事故以後に成立した法律

(1)原子力損害賠償支援機構法

本件原発事故により、原賠法7条1項に定める賠償措置額を超える原子力損害が発生する事態が生じたため、平成23年8月10日、原子力損害賠償支援機構法が公布された。

 同法は、「原子力損害賠償支援機構は、原子力損害の賠償に関する法律第3条の規定により原子力事業者が賠償の責めに任ずべき額が賠償法第7条第1項に規定する賠償措置額を超える原子力損害が生じた場合において、当該原子力事業者が損害を賠償するために必要な資金の交付その他の業務を行うことにより、原子力損害の賠償の迅速かつ適切な実施及び電気の安定供給その他の原子炉の運転等に係る事業の円滑な運営の確保を図り、もって国民生活の安定向上及び国民経済の健全な発展に資することを目的」(1条)とし、被告国が、これまで原子力政策を推進してきたことに伴う社会的な責任に鑑み、損害賠償に関する支援を行うための万全の措置を講ずる旨明記された(2条)。


(2)放射性物質による環境の汚染への対処に関する特別措置法

同月30日、「平成23年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震に伴う原子力発電所の事故により当該原子力発電所から放出された放射性物質による環境の汚染が生じていることに鑑み、事故由来放射性物質による環境の汚染への対処に関し、国、地方公共団体、原子力事業者及び国民の責務を明らかにするとともに、国、地方公共団体、関係原子力事業者等が講ずべき措置について定めること等により、事故由来放射性物質による環境の汚染が人の健康又は生活環境に及ぼす影響を速やかに低減することを目的」(1条)とする、放射性物質による環境の汚染への対処に関する特別措置法が公布された。

 同法は、被告国が、本件原発事故に伴う放射性物質の拡散による環境の汚染への対処に関し、必要な措置を講ずることを規定するとともに(3条)、原子力事業者も、誠意をもって必要な措置を講じ、国又は地方公共団体が実施する施策に協力しなければならない旨規定している(5条1項)。


(3)福島復興再生特別措置法

平成24年3月31日、「原子力災害により深刻かつ多大な被害を受けた福島の復興及び再生が、その置かれた特殊な諸事情とこれまで原子力政策を推進してきたことに伴う国の社会的な責任を踏まえて行われるべきものであることに鑑み、原子力災害からの福島の復興及び再生の基本となる福島復興再生基本方針の策定、避難解除等区域の復興及び再生のための特別の措置、原子力災害からの産業の復興及び再生のための特別の措置等について定めることにより、原子力災害からの福島の復興及び再生の推進を図り、もって東日本大震災復興基本法2条の基本理念に則した東日本大震災からの復興の円滑かつ迅速な推進と活力ある日本の再生に資することを目的」(1条)とする、福島復興再生特別措置法が公布された。

 同法においては、基本理念として、「原子力災害からの福島の復興及び再生は、住民一人一人が災害を乗り越えて豊かな人生を送ることができるようにすることを旨として、行われなければならない」(2条2項)ことや「原子力災害からの福島の復興及び再生に関する施策は、福島の地域のコミュニティの維持に配慮して講ぜられなければならない」(2条4項)ことなどが規定された。 


(4)子ども・被災者支援法

平成24年6月27日、本件原発事故により「放出された放射性物質が広く拡散していること、当該放射性物質による放射線が人の健康に及ぼす危険について科学的に十分に解明されていないこと等のため、一定の基準以上の放射線量が計測される地域に居住し、又は居住していた者及び政府による避難に係る指示により避難を余儀なくされている者並びにこれらの者に準ずる者が、健康上の不安を抱え、生活上の負担を強いられており、その支援の必要性が生じていること及び当該支援に関し特に子どもへの配慮が求められていることに鑑み、子どもに特に配慮して行う被災者の生活支援等に関する施策の基本となる事項を定めることにより、被災者の生活を守り支えるための被災者生活支援等施策を推進し、もって被災者の不安の解消及び安定した生活の実現に寄与することを目的」(1条)として、「東京電力原子力事故により被災した子どもをはじめとする住民等の生活を守り支えるための被災者の生活支援等に関する施策の推進に関する法律」(子ども・被災者支援法)が公布された。

 同法1条においては、「当該放射性物質による放射線が人の健康に及ぼす危険について科学的に十分に解明されていない」と明記されている。

第3 多発する原発事故

本件原発事故以前にも、原発事故は世界中で発生しており、福島県第一原子力発電所においても、安全対策が急務であった。各原発事故の発生時期と事故の重大さを0から7の8段階にレベル分けした国際原子力事象評価尺度(INES)のレベルは、下記表のとおりである。

【図】出典:原子力安全・保安院ホームページ、2012 年版原子力・エネルギー図面集(電気事業連合会)より

1 世界における原発事故

(1)米国・スリーマイル島発電所事故(以下「スリーマイル島原発事故」という)

 1979(昭和54)年3月28日、米国ペンシルバニア州スリーマイル島上にある原子力発電所2号炉(PWR・出力95万9000kW)において、冷却材喪失という事象から炉心溶解(いわゆるメルトダウン)にまで拡大させた。

 この事故における核燃料の損傷により、大量の放射性物質が一次冷却水中に漏出され、環境へ放出された(INESレベル5)。


(2)旧ソ連・チェルノブイリ発電所事故(以下「チェルノブイリ原発事故」という) 

 1986(昭和61)年4月26日、当時のソビエト連邦、ウクライナ共和国のチェルノブイリ発電所4号炉において、出力が暴走して爆発し、すべての圧力管及び原子炉上部の構造物が破壊されるとともに、黒鉛ブロックが燃焼して炉心の放射性物質が空中高く吹き上げられて全世界に飛散した。INESのレベルは過去最悪の7とされた。

 チェルノブイリ原発事故により大量の放射性物質がウクライナ、ベラルーシ、ロシア等へ放出され、原発作業者や消防隊員などが急性の放射線障害を被ったほか、半径30km圏内の住民約13万5000人が避難したと報告されている。その結果、広大な地域が居住不能となり、周辺住民には、甲状腺がんや白血病その他の疾病が異常発生していることは周知のとおりである。


(3)フランス・ルブレイエ発電所事故

 1999(平成11)年12月28日、フランスのルブレイエ発電所で、暴風雨により外部電源を喪失した後、高潮をともなう暴風雨によってジロンド河が増水して設計防水堤水位5mを大きく超え、浸水し、ポンプや配電設備等が水につかり、冷却システムが停止するという事故が発生した(INESレベル2)。


(4)台湾・馬鞍山発電所事故

 2001(平成13)年3月、台湾の馬鞍山原子力発電所で、塩害による送電線事故により外部電源喪失事故が発生し、更に非常用ディーゼル発電機の起動失敗が重なったため、全交流電源が喪失するという事故が発生した。


(5)インド・マドラス発電所事故

 2004(平成16)年12月26日、スマトラ島沖地震による津波がインドに到達し、ポンプ室の必須プロセスポンプのモータが水没して原子炉が停止するという外部溢水事象が発生した(INESレベル0)。

2 日本における原発事故

(1)福島第一原発における事故

 福島第一原発において、本件原発事故以前に起きた事故は、次のとおりである。

① 昭和53年11月2日、福島第一原発3号機において、戻り弁の操作ミスにより制御棒5本が抜け、最大7時間半もの間臨界状態が続いた。これは日本で最初の臨界事故とされる。

  なお、驚くべきことに、被告東電は、運転日誌を改竄して当該事故を隠蔽し、約30年後の平成19年3月になってはじめて公表された。

② 平成2年9月9日には、上記3号機において、主蒸気隔離弁を止めるピンが損傷した結果、原子炉圧力が上昇し、圧力容器内の中性子の量が増加したため、自動停止した(INESレベル2)。

③ 独立行政法人原子力安全基盤機構(JNES)が収集している情報によると、福島第一原発では、1号機では54件、2号機では51件、3号機では31件、4号機では20件、5号機では21件、6号機では29件ものトラブルがあったとされる。

 とりわけ、1号機は、事故・故障が多く、その内容も、応力腐食割れによる配管類の破損、弁類の不良、燃料破損、電気回路の故障など初期の原発に多発した事故・故障がそろって発生している。中でも燃料破損は1970年代の定期検査時に毎回のように発見されていた。


(2)福島第二原発における事故

 福島第二原発3号機において、昭和64年1月6日、原子炉を運転中、原子炉再循環ポンプが大損壊し、手動停止するという事故があった(INESレベル2)。

 なお、独立行政法人原子力安全基盤機構(JNES)が収集している情報によると、福島第二原発では、1号機で29件、2号機で16件、3号機で11件、4号機で10件のトラブルが起きていた。


(3)日本における他の原発事故

①  美浜原子力発電所2号機の蒸気発生器伝熱管損傷事故

 平成3年2月9日、関西電力美浜原子力発電所2号機において、蒸気発生器細管が完全破断し、非常用炉心冷却系(ECCS)作動により緊急停止した(INESレベル2)。

② 浜岡原子力発電所3号機事故

 平成3年4月4日、中部電力浜岡原子力発電所3号機が誤信号により原子炉給水量が減少し、原子炉が緊急停止した(INESレベル2)。

③ 動燃もんじゅ事故

 平成7年、ナトリウムが漏洩し、燃焼する事故が発生した(INESレベル1)。

④ 動燃の再処理工場火災・爆発事故

 平成9年、動燃東海再処理施設のアスファルト固化施設が火災になり、爆発した(INESレベル3)。

⑤ 志賀原子力発電所1号機事故

 平成11年6月18日、北陸電力志賀原子力発電所1号機において、3本の制御棒が抜け、無制御臨界になり、スクラム信号が出たが、制御棒を挿入できず、手動で弁を操作するまで臨界が15分間続いた。

 しかし、北陸電力は、運転日誌等を改竄し、平成19年まで隠蔽していた。

 なお、全国のその他の原発においても、上記以外にも毎年のように大小の故障・事故が起きていた。

⑥  東海村JCOの臨界事故

 平成11年、東海村JCO核燃料加工施設において、臨界事故が発生し、作業員2名が死亡した(INESレベル4)。

⑦ 新潟県中越沖地震に伴う東京電力柏崎刈羽原子力発電所での一連の事故

  平成19年7月16日に発生した新潟県中越沖地震により、外部電源用の油冷式変圧器が火災を起こし、微量の放射性物質の漏洩が検出された。震災後の高波によって敷地内が冠水、このため使用済み核燃料棒プールの冷却水が一部流失するという事故が起きた。

第2章 本件原発事故の概要

第1 原子力発電所の構造

1 原子力発電の基本的な仕組み

原子力発電は、核分裂性物質を燃料として発電をする。すなわち、核燃料が連鎖的に核分裂反応を起こす際に発生する熱エネルギーを利用して、水を沸騰させ、その蒸気でタービンを回して発電するのである。その仕組みについて、以下詳述する。


(1)核燃料と連鎖反応

 ウラン235等の核分裂性物質の原子核は、中性子を吸収すると、一定の割合で2つ以上の原子核に分裂すると同時に、2ないし3個の中性子を放出する(この反応を「核分裂反応」といい、核分裂反応により生み出された物質を「核分裂生成物」という。)。この放出された中性子が、さらに別の核分裂性物質に吸収されることにより、次の世代の核分裂反応が起こり、これが何世代にもわたって繰り返されていくこととなる(核分裂連鎖反応)。


(2)冷却剤と減速材

 核分裂反応が起こると、原子核の結合エネルギーの一部が熱エネルギーとなって放出される。発電するためには、この熱を取り出してタービンに導くための「冷却材」が必要であり、商業用原子力発電所では、一般的に、冷却剤として軽水が使用される。

 また、核分裂時に放出される中性子はエネルギーの高い「高速中性子」であり、そのままでは他の核分裂性物質には吸収されにくい。そこで、商業用原子力発電所では、核分裂の効率を最適にするための「減速材」として、軽水などを用いて中性子のエネルギーを下げ、「熱中性子」にしてから利用するようにしている。


(3)崩壊熱

 核分裂生成物は、その多くがα線、β線、γ線などの放射線を放出して崩壊し、その際に「崩壊熱」を発生させる。原子力発電所が運転をしている時には、発熱量のほぼ7パーセント相当がこの崩壊熱によるものである。そのため、原子炉を停止させ、核分裂を止めたとしても、核分裂生成物は崩壊熱を出し続けることになるため、原子炉停止後も核燃料を長時間にわたって冷却し続けなければならないのである。


(4)核分裂反応の制御

 核分裂数がいったん臨界(核分裂に用いられる中性子数が増加も減少もしない状態)を超えてしまうと、核分裂反応数は指数関数的に増え、制御不能の状態となってしまう。 

 そこで、原子力発電所では、中性子を吸収する「制御棒」を出し入れすることによって、核分裂反応量を制御し、臨界に近い状態を維持しながら安定した熱エネルギーを得ているのである。

2 原子炉の種類と構造

(1)原子炉の種類と沸騰型原子炉の構造

 原子力発電所に用いられる原子炉は、高速中性子を利用する高速炉と熱中性子を利用する熱中性子炉があるが、商業用原子力発電所のほとんどは、熱中性子炉である。そして、日本の商業用原子力発電所は、全て、冷却材及び減速材として軽水を使用する「軽水炉」である。なお、原子炉爆発事故を起こしたチェルノブイリ原子力発電所は、黒鉛で減速し軽水で冷却するという旧ソ連独特の原子炉であった。

 軽水炉は、沸騰型原子炉(BWR〔Boiling Water Reactor〕)と加圧水型原子炉(PWR 〔Pressed Water Reactor〕)に分かれる。BWRは、核燃料が原子炉圧力容器内の軽水を沸騰させ、この蒸気がタービン建屋に導かれてタービンを回転させる軽水炉である。これに対して、PWRは、原子炉圧力容器内の冷却材は高圧であるため、水のまま蒸気発生器に導かれ、蒸気発生器内で別系統の水(二次冷却系)を加熱して、二次冷却系の水が水蒸気となってタービンを回転させて発電をする。本件原発事故を起こした福島第一原発の原子炉は、全てBWRである。なお、スリーマイル島原子力発電所はPWRである。

 BWRを備えた原子力発電所では、原子炉圧力容器内で発生した水蒸気(放射性物質を含んでいる)は、配管を通ってタービン室に導かれ、発電タービンを回転させ、復水器により外部から取り込まれた海水で冷却されて水となり、再度原子炉圧力容器内へ戻される循環系を構成する。核燃料、核燃料を内包する原子炉圧力容器、圧力容器を内包する原子炉格納容器、そして格納容器を内包する原子炉建屋と熱エネルギーを電気エネルギーに変換するための発電機を内包するタービン建屋が主要な建物である。加えて、これらの設備を制御するための施設、緊急時に対処するための安全保護系、また、これらを動かすための電源設備その他の施設で構成されている。

【図】「BWRとPWRについて」 出典:三菱原子燃料株式会社ホームページより

(2)核燃料(核燃料棒と核燃料集合体)

 日本の商業用原子力発電所においては、核燃料として、主にウラン235を用いている。

上述したとおり、ウラン235が中性子を吸収すると、2つに分裂して核分裂生成物を生みだし、高速中性子を放出すると同時に、熱エネルギーを放出する。この高速中性子を減速材により減速して熱中性子とした上で、別のウラン235に吸収させて新たな核分裂反応を発生させることによって、核分裂連鎖反応を持続させるのである。

ただし、天然ウランには、核燃料となるウラン235はわずか約0.7%しか含まれていない。そこで、原子力発電の燃料とするため、ウラン235を3〜5%に濃縮したウラン燃料を直径10mm、高さ10mm程度の円筒状に焼き固めて燃料ペレットとしている。さらに、燃料ペレットを1列に棒状に並べて燃料被覆管に詰めて密閉し(これを「燃料棒」という)、これを複数本束ねて燃料集合体にしている。

(2)核燃料(核燃料棒と核燃料集合体)

 日本の商業用原子力発電所においては、核燃料として、主にウラン235を用いている。

上述したとおり、ウラン235が中性子を吸収すると、2つに分裂して核分裂生成物を生みだし、高速中性子を放出すると同時に、熱エネルギーを放出する。この高速中性子を減速材により減速して熱中性子とした上で、別のウラン235に吸収させて新たな核分裂反応を発生させることによって、核分裂連鎖反応を持続させるのである。

ただし、天然ウランには、核燃料となるウラン235はわずか約0.7%しか含まれていない。そこで、原子力発電の燃料とするため、ウラン235を3〜5%に濃縮したウラン燃料を直径10mm、高さ10mm程度の円筒状に焼き固めて燃料ペレットとしている。さらに、燃料ペレットを1列に棒状に並べて燃料被覆管に詰めて密閉し(これを「燃料棒」という)、これを複数本束ねて燃料集合体にしている。


(3)原子炉圧力容器

 燃料集合体を、多数まとめて、原子炉の中心部にあるステンレス製円筒構造物であるシュラウドの中に挿入する。これが原子炉の炉心を形成する。炉心は、冷却材と減速材を兼ねる軽水で満たされており、原子炉圧力容器内に収納されている。

 定常運転時においては、原子炉の冷却材は、原子炉圧力容器外にある再循環ポンプにより循環し、原子炉圧力容器内で高温高圧の蒸気(運転温度摂氏約270度、運転圧力約70気圧)となる。その後、蒸気乾燥器で乾燥され、発電タービンに送られ、タービンを回転させる。タービンを回転させた後の蒸気は、復水器に送られ、海水によって冷却されることにより水に戻される。そして、給水過熱器を介して昇温され、給水ポンプを介して昇圧され、再び原子炉圧力容器に給水されるのである。

【図】「BWRの燃料集合体」出典:資源エネルギー庁ホームページより

(4)原子炉格納容器

原子炉圧力容器は、さらに鋼鉄製の原子炉格納容器で覆われている。

 格納容器の形状には様々な種類があるが、東京電力福島第一原発においては、1号機から5号機は「マークⅠ型」であり、6号機は「マークⅡ型」である。マークⅠ型は、だるまの形をしたドライウェルと、ドーナツ型で中に水が入っているウェットウェルを組み合わせた形状である。マークⅡ型は、フラスコ型をしており、下部に水が入っていて圧力抑制の機能を持っている。

 本件原発事故を起こしたマークⅠ型では、ドライウェル内あるいは原子炉圧力容器内が高圧の水蒸気で満たされた場合に、圧力抑制室(ウェットウェル)が、その水蒸気を導き入れ、圧力抑制室内に貯められた軽水で冷却して水に戻し、それぞれの圧力を下げる役割を果たしている。


【図】「原子炉圧力容器、格納容器、圧力抑制室」

出典:東北電力「沸騰水型軽水炉(BWR)のしくみ」より

3 原子力発電所の構造と設備

 原子力発電所には、下記図のとおり、原子炉と一時冷却材ループ(炉心を通る水の系統)、使用済み燃料プールなどが収納されている「原子炉建屋」、タービン発電機や復水器、給水ポンプなどが設置されている「タービン建屋」、また、これらの設備を動かすための電源設備などの設備が設置されている。

【図】出典:電気事業連合会 編「原子力・エネルギー図面集2013年版」より

(1)原子炉建屋と使用済み燃料プール

上述した原子炉格納容器は、さらに鉄筋コンクリート製の原子炉建屋で覆われている。

 原子炉建屋内には、原子炉格納容器の外に発電に使用された後の燃料集合体を一定期間保管する使用済み燃料プールがある。福島第一原発にも、使用済み燃料プールがあり、新旧あわせて多数の燃料集合体が格納されている。


(2)タービン建屋

 タービン建屋とは、タービン発電機が設置されている建屋である。タービン建屋には、復水器、給水加熱器、給水ポンプなども収納されている。


(3)電力設備

 原子力発電所においては、核分裂反応を制御したり、水蒸気を冷却して水に戻したりするために多量の電力を必要とする。また、蒸気駆動の高圧注水設備本体の作動や起動、主蒸気逃がし安全弁の操作、監視計器の作動にも直流電源が必要とされている。

 そこで、右表のとおり、送電による外部電源、非常用発電機、バッテリー、電源車、電源盤などの電力設備が設けられている。


第2 放射性物質の人体への影響と「深層防護」の考え方

1 原子力発電により生み出される放射性物質と放射線

(1)原子力発電により生み出される放射性物質と放射線

 上述のとおり、原子力発電は、原子核の核分裂によって得られる膨大なエネルギーを利用して、発電をする。

 しかし、原子核の核分裂は、副産物として、ヨウ素131、セシウム134、セシウム137などの、さまざまな放射性核種を含んだ放射性物質を生み出す。これら放射性物質が放射線を放出する。

 放射線には、粒子線と電磁波がある。前者には、アルファ(α)線、ベータ(β)線、中性子線などがあり、後者にはガンマ(γ)線がある。これらは、正確には、電離放射線という。

 放射性物質は、不安定な原子核を含んでおり、より安定的な原子核に変わる性質をもっている。より安定的な原子核に変化することを、壊変あるいは崩壊という。この崩壊に伴い放出されるエネルギーが放射線である。


(2)放射線の作用

放射線には、①透過作用、②電離作用、③熱作用などがある。


① 透過作用

【α線】

 透過性は低く、空気中で数㎝しか進まず、紙1枚で阻止されてしまう。

 人体で言えば、皮膚の表面(角質層)で阻止され細胞まで届かないことになるが、α線を放出する放射性物質を体内に取り込んでしまった場合、後に述べる電離作用が最も強いことから、細胞核に命中すると強力な電離作用により、組織構造を破壊する。

【β線】空気中で数㎝から1m程度進むが、数㎜のアルミニウム板あるいは1㎝のプラスチック板で阻止される。

 後に述べる、外部被ばくでは、皮膚に対する影響が問題となるが、体の内部まで浸透することはない。もっとも、β線を放出する放射性物質を体内に取り込んだ場合には、α線と同じく、人体の組織構造を破壊する作用を有する。

【γ線】

 透過力が強く、空気中では数十~数百m進行し、阻止するには厚い鉛板やコンクリート壁が必要である。

 このため、γ線の場合、外部被ばく、内部被ばくともに、人体に与える影響を避けることは、事実上不可能である。

【中性子線】

 中性子は、厚い鉛版や鉄板をはじめ、ほとんどの物質を容易に突き抜けてしまう。厚いコンクリートでも、中性子を半減するのに約30㎝の厚さが必要である。

 中性子は、水の水素原子核によって最も効率よく強く減弱されるが、これは中性子のエネルギーを受けた水素原子核が次々と他の原子を電離していくことを意味する。

 したがって、ほとんど水で構成されている人体は中性子の電離作用(放射線被ばく)の格好のターゲットである。


② 電離作用

 人体も含めてすべての物質は原子で構成されている。

 人体は、成人で、ほぼ60兆個の細胞からできており、細胞は、直径10~20μm、細胞核は直径約8μm、その細胞核の中にDNAが格納されている。原子が結合して分子ができ、分子が結合して細胞内の諸物質が形成されている。これらの結合は、電気的結合であり、その結合エネルギーは、数eVと極めて微弱である。

 原子は、原子核(陽子と中性子)と電子で構成されている。原子から電子を分離する作用を電離という。すなわち、放射線を受けると原子がイオン化することになる。電子は、負(陰)の電荷を持っているので、電離を受けた(残された)原子は正(陽)のイオンになる。このように、電離によって、原子が陽イオンと電子になる。また、電子を捕捉した原子は、陰イオンになる。

 放射性物質から放たれる放射線は、数千ないし数百万eVのエネルギーを持ち、このエネルギーを受け継いだ電子(一次電離電子)が、生体内を動き回って、次々と周囲の原子を電離させて二次電子をねずみ算式に生じさせ、これら放射線、一次電子、二次電子が染色体の遺伝子を傷つける。これが、放射線障害の基本的な機序である。

 要するに、放射線障害の基本機序は、電離作用によりDNA(デオキシリボ核酸)を傷つけることである。

 α線、β線及びγ線の、各放射線の透過作用と電離作用の相関関係は、次のとおりである。

〔放射線の透過作用と電離作用の相対値(同じエネルギーの場合)〕

【表】原告作成

③ 熱作用

γ線は、透過作用が強いため熱作用は微弱であるが、透過性の弱いα線は短い距離で急に運動エネルギーを失う(一部が熱に変換される)ので、強い熱作用を有する。


(3)放射能、放射線の単位-ベクレルとシーベルト

 ベクレル(Bq)は、放射能を測る単位で、放射性物質が、毎秒何回壊変(崩壊)するかを示すものである。

 放射性物質の壊変により放射された放射線の量を物質に与える熱量として測定したものが吸収線量であり、単位はグレイ(Gr)である。1グレイは、1kgの物質に1ジュールの熱量を与える放射線量である。

 同じ1グレイの線量でも、放射線の種類によって生物影響の強さは異なる。そこで、放射線の種類ごとに生物影響の強さ(毒性)を補正したのがシーベルト(Sv)である。γ線やβ線は、1グレイ=1シーベルト、α線は、1グレイ=20シーベルトである。シーベルト単位で評価される場合には、異なる放射線による外部被ばくであれ、異なる放射性同位元素による内部被ばくであれ、組織が受ける被ばくの影響は同じ(等価)である。


(4)放射性物質の半減期

 半減期とは、放射性物質の量(単位はベクレル)が半分に減るのに要する期間が半減期である。

 放射性物質の半減期には、物理的半減期、生物学的半減期がある。一般に、半減期と呼ばれているのは物理的半減期を意味する。半減期が短い放射性同位元素ほど、その重量が同じである限り、放射能が強い。

 ヨウ素131の物理的半減期は8.04日、ストロンチウム90のそれは28.6年、セシウム134のそれは2.06年、セシウム137のそれは30.1年、プルトニウム239のそれは約2万4000年である。

 他方で、体内に摂取された放射性物質は、その種類によって一生その人の体内にとどまって放射線を出し続けるものもあれば、数日で体外に排出されるものや、人体に吸収されないものもある。体内に摂取された放射性物質が半分になる(半分体外に排出される)期間を生物学的半減期と呼ぶ。

 たとえば、ヨウ素131の生物学的半減期は、甲状腺との関係では約80日から120日であり、ストロンチウム90のそれは49.3年、セシウム134のそれは約100日から200日、セシウム137のそれは約70日である。もっとも、物理的半減期と異なり、生物学的半減期は個人(個体、年齢、性別)によって差があるし、同じ個人であっても、その時の体調などで変化する。このため、上記49年や70日という数字は一つの目安にすぎない。

【表】出典:「低線量:内部被曝の危険性 その医学的根拠」(医療問題研究会編 耕文社)11頁より

(5)外部被ばくと内部被ばく

放射線を浴びた場合、人体への被ばく量(線量当量)は、外部被ばく量と内部被ばく量の合計で表される。

① 外部被ばく

 外部被ばくとは、人体の外から放射線を浴びることである。

 α線の場合、皮膚の角化層を通過しないので、外部被ばくでは問題となることがないと言われている。

 β線については、放射性物質が皮膚や着衣に付着した場合には表面被ばくと呼ばれ、これも外部被ばくの一つである。

 β線とγ線の両方を放出する各種の表面被ばくでは、γ線による被ばくの方が圧倒的に重要である。これは、γ線は、上述のとおり透過作用が極めて強く、重要な内部臓器が被ばくするからである。

② 内部被ばく

 内部被ばくは、人体の内部に放射線の線源がある場合に、人体の内部から放射線を浴びることである。吸入、摂食、あるいは血管内や筋肉内注入によって、体内に放射性物質(放射性同位元素)を取り入れた場合で、α線、β線、γ線、中性子線などが対象になる。

 内部被ばくには、放射性物質を経口摂取し、消化管から吸収される場合と、吸入して肺から吸収される場合とがある。

 放射性物質によって、代謝で取り込まれる臓器が異なる。ヨウ素131は主に甲状腺に、セシウム137は筋肉、肺、肝臓、腎臓及び骨に、ストロンチウム90は骨に取り込まれる。

③ 放射線防護手段の違い

 外部被ばくからの放射線防護は、「放射線防護3原則」に則り実施する。すなわち、(ⅰ)線源からの距離を保つ、(ⅱ)線源と自分の間に遮蔽物を置く、(ⅲ)被ばく時間を短くする、ことである。

 内部被ばくの場合は、(ⅰ)内部被ばくの経路を防止(呼吸、飲食物を介した放射性物質吸入・摂取の防止)、(ⅱ)消化管からの吸収阻害(例:放射性セシウムに対するプルーシャンブルーの服用)、(ⅲ)標的臓器への沈着防止(例:放射性ヨウ素に対する安定ヨウ素剤の服用)等がある。

 外部被ばくであっても、内部被ばくであっても、いったん被ばくしてしまうと、後から被ばく線量を減ずる手段はない。


(6)未解明な放射線被ばくの人体への影響

 放射線被ばくによる人体への影響には、確定的影響と確率的影響がある。

 確定的影響は、ある被ばく線量以下では影響(障害)が現れないが、その線量を超えると高い頻度で障害が生じ、その障害の程度(重篤度)は被ばく量とともに増大するというものである。人体が高線量の放射線に被ばくした際、細胞死により比較的長期に脱毛、不妊等の急性障害が生じるが、これが確定的影響である。

 他方、確率的影響は、線量に比例して発症確率が増加する(障害の発生頻度は被ばく量とともに高くなる)というものである。被ばく後、長時間を経て発症する白血病、癌や遺伝的影響は、確率的影響である。

 この確率的影響については、どんなに少量の被ばくでも、ある確率で人体に障害を生じさせ、閾値は存在しないという考え方が主流であり、国際放射線防護委員会(ICRP)の採る考え方である。この放射線障害の発生頻度が被ばく量に比例するという説は、LNT(Linear Non-Threshold;直線閾値(しきいち)なし)仮説と呼ばれている。

 なお、放射性物質が人体に健康被害を生じさせるメカニズムについては、現在でもその全容が明らかになっているわけではなく、未解明の部分が多い。

2 原子炉の暴走と「深層防護」の考え方

(1)原子炉が暴走する危険性とそれに対する安全対策

核分裂反応は、一歩間違えば直ちに制御不能になる。そのため、核分裂作用を利用している原子力発電では、常に原子炉が暴走する危険性を秘めている。いったん原子炉が暴走した場合には、直ちに原子炉を緊急停止させなければならない。仮に原子炉を緊急停止させることに成功し、核分裂を停止させることができたとしても、崩壊熱は発生し続けることになる。そのため、崩壊熱を除去しなければ、燃料損傷、炉心損傷、炉心溶解(いわゆるメルトダウン)と原子炉事故は進展していくことになる。

 このような原子炉事故の進展に伴い、放射性物質を原子炉内に閉じ込めることができなくなってしまえば、放射性物質が原子炉外に多量に放出されることとなる。いったん原子炉外に放出された放射性物質を完全に除去することは不可能であり、人体や環境に計り知れない影響を与える事態を招くこととなる。

 このような事態を防ぐため、原子力発電においては、特殊な安全対策こそが必要不可欠である。すなわち、まず、①核分裂反応の指数関数的な拡大を防止するために、核分裂反応を適切に制御する必要があり、異常時には原子炉を即座に「止める」必要がある。また、②核分裂反応停止後になおも崩壊熱が残るため「冷やす」必要がある。そして、③核分裂生成物は、人体・環境に多大な悪影響を及ぼすことから、原子炉内に「閉じ込める」必要がある。

 このような必要性から求められる具体的な安全対策こそが、次の深層防護である。


(2)「5層」の「深層防護」の考え方

 「深層防護(多重防護ともいう)」とは、原子力施設の「事故の防止」及び「事故の影響緩和」のための主要な手段として、多重に安全防護のための障壁を備えることをいう。この深層防護の概念は、原子力施設の設計・建設・運転管理等を含めた全ての安全確保活動に適用されるものとして、諸外国でも用いられている。例えば、IAEA(International Atomic Energy Agency、国際原子力機関)によると、深層防護の考え方は、「起こりうる人的・機械的故障を保障するために、環境への放射性物質放出を防ぐための相次ぐ障壁を含むいくつかの防護レベルを中心として、深層防御の概念が実施されている。この概念は、プラント及び障壁そのものへの損傷を避けるための障壁の防護をも含んでいる。さらに、この概念には、これらの防護壁が完璧には有効でない時に公衆と環境を危険から守る方策が含まれる」(IAEA安全基準、「Basic Safety Principles for Nuclear Power Plants」)と説明されている。

 5層の深層防護の各層の概要は、以下のとおりであり、各階層が独立していなければならない。


【第1層】

 異常運転や不具合の予防である。運転時に異常や故障が発生するのを予防するため、安全を重視した余裕ある設計を行い、建設・運転における高い品質を保つことが求められる。


【第2層】

 異常運転状態の管理と不具合の検知である。異常な運転を制御したり、故障の発生を検知したりするため、管理・制御・保護のシステムや、その他監視機能を導入することが求められる。


【第3層】

 設計基準で想定される過酷レベル未満の事故の管理である。設計基準事故(設計時に考慮された想定事故)を起こさないよう、また設計基準事故がシビアアクシデント(設計基準事故を大幅に超える事故、以下「SA」という)に進展しないようにするため、工学的安全施設(非常用炉心冷却設備、原子炉格納容器等の放射性物質の放出を防止・抑制する設備)を導入するとともに、事故時の対応手順を準備することが求められる。


【第4層】

 事故進展防止を含む発電所の過酷な状態の管理と、閉じ込め防護を含むSAの影響緩和である。事故の進展防止、SA時の影響緩和等、発電所の過酷な状況を制御し、閉じ込めの機能を維持するため、補完的な手段及びアクシデントマネジメント(設計基準事故を超える事態に備えて設置された機器等による措置、以下「AM」という)を導入することがもとめられる。


【第5層】

 放射性物質の大規模な放出による放射線影響の緩和である。放射性物質が外部環境に放出されることによる放射線の影響を緩和するため、オフサイト(発電所外)での緊急時対応を準備することが求められる。


【深層防護】(国会事故調資料参照、色分けは、緑は通常時青は想定事故赤が緊急時


3 異常時の対応とその手順

 (1)原子炉スクラム(原子炉緊急停止)

 核分裂数が異常に増加したり、冷却材量が減少したり、地震が発生したりするなど、異常が生じた場合には、燃料集合体の間に制御棒を急速に差し込む方法により核分裂反応を停止させる。これを原子炉緊急停止(原子炉スクラム)という。

 ただし、上述のとおり、原子炉スクラムによって原子炉を「止める」ことができたとしても、既に発生して核燃料棒に溜まっている核分裂生成物が崩壊し、崩壊熱を発生させることになるため、引き続き原子炉を冷却し続けなければならない。

(2)非常用炉心冷却系(ECCS)

 配管が破断したり、冷却能力が減少したりすることにより原子炉内の水位が下がった場合や炉心温度が上昇しすぎた場合には、非常用炉心冷却系(ECCS、緊急炉心冷却装置ともいう)を作動させ、注水する。

 ただし、通常運転時の圧力容器内は約70気圧と高圧であるため、原子炉を停止した直後は、高い圧力をかけて水を入れることができる設備を用いて注水・冷却をする必要がある(高圧注水)。原子炉内の圧力が大気圧程度にまで下がれば、低い圧力で原子炉内へ注水することができる設備を用いて注水・冷却をする(低圧注水)。低圧注水を可能とするためには、原子炉内の圧力を下げる必要があるため、原子炉圧力容器内の蒸気を格納容器内の圧力抑制室(ウェットウェル)へ導くための配管が設置され、主蒸気隔離弁を開くことによって減圧ができる仕組みになっている。

 具体的な設備は、原子炉によって異なっているが、福島第一原発では、異常発生時に原子炉を主復水器から隔離する必要が生じた場合に備え、冷却材を冷却するための装置として、1号機には、非常用復水器(原子炉から蒸気を取り出し非常用復水器内に貯めた冷却水と熱交換することで蒸気を冷却し、凝縮水を原子炉に戻す設備、以下「IC」という)が備えられていた。また、2号機ないし5号機には、原子炉隔離時冷却系(原子炉の蒸気でタービン駆動ポンプを回して冷却水を原子炉内に注水し、燃料の崩壊熱を除去して減圧するため、あるいは給水系の故障時などに非常用注水ポンプとして使用し、原子炉の水位を維持するための装置、以下「RCIC」という)が設置されていた。

【図】出典:大前研一「原発再稼働 最後の条件」(小学館)16頁より

(3)原子炉格納容器のベント

 原子炉格納容器は、放射性物質を閉じ込めるための最後の砦である。しかし、スリーマイル島原発事故のあと、SAが起きた場合には、格納容器が破壊される可能性が指摘されるにいたった。そこで、格納容器の圧力による破損を防止するため、格納容器内にたまった気体を大気中に放出(これを「ベント」という)して減圧するための配管を設置する必要が生じた。

 ベント配管には、ドライウェルからのものと、圧力抑制室(ウェットウェル)からのものの2通りの方法がある。格納容器の圧力が高まったときは、まず圧力抑制室からのベントを行う。これは、圧力抑制室内では原子炉圧力容器やドライウェルからの気体をいったん水に引き込んでおり、放射性物質の多くは水に溶けるために、ベントを行っても放射性物質の放出は少ないからである。これを行っても圧力が減少しない場合にはドライウェルからのベントを行う。この場合には、原子炉格納容器から漏れ出た高濃度の放射性物質が大気中に出ることになってしまう。そこで、アメリカなどでは放射性物質除去のためのフィルター設備を備えているのであるが、日本ではそのような設備を備えていなかった(そのため、本件原発事故でも、ベントによって大量の放射性物質が大気中の放出されることとなった)。


(4)緊急時の対応手順

 以上のとおり、原子力発電所においては、深層防護の考え方に基づき、各種の設備が備えられている。そして、異常時には、原子炉の状況などを適切に判断し、これらの設備を用いて、放射性物質の放出を食い止めなければならないのである。

 その緊急時の対応手順について、その概略は以下の表のとおりである。


【図】出典:大前研一「原発再稼働 最後の条件」(小学館)18頁より

第3 福島第一原発の概要

1 立地

(1)「相双地域」

福島第一原発の1号機から4号機は双葉郡大熊町に、5号機と6号機は双葉郡双葉町に設置されており、福島第二原発は双葉郡富岡町と双葉郡楢葉町にまたがって設置されている。双葉郡は、上記4町に、広野町、浪江町、川内村、葛尾村を加えた6町2村で構成されており、相馬市及び南相馬市、相馬郡(新地町と飯館村)と併せて、「相双地域」と総称される。福島第一原発の立地過程を論ずる前提として、同地域の状況を以下に論ずる。


(2)位置、面積、人口

「相双地域」は、東北の最南部である福島県の東部に位置する浜通り地方に属し、西は阿武隈高地、東は太平洋に面する細長い平野が南北に続く沿岸地方である。その合計面積は1737.71km2である。

県勢要覧によれば、平成22年度の統計では、相双地域の人口は計19万5950人である。


(3)原発建設前の状況

原子力発電所建設前までは、主に農業に従事している者の割合が高かった。米や果樹、葉タバコ、酪農、野菜の生産も行われていた。商工業も、個人事業が主であった。(例えば、商業について、双葉、大熊町を併せた販売額は1億8000万円程度(昭和42年)であった)。

人々は、海と山に囲まれた相双地域において、農地や海、山、川などから自然の恵みを受けながら、自然との調和のもとに生活を営み続けた。この相双地域に、自己実現の場を求め、文化を継承し創造していく場を求めてきたのである。平将門の伝承に由来し1000年以上続く神事である相馬野馬追など豊かな文化が育まれた。

2 建設開始から運転開始までの経過

被告東電は、水力発電所、火力発電所の他に、現時点では、福島第一原発(6基)、福島第二原発(4基)及び柏崎刈羽原子力発電所(7基)の計17基の原子炉を保有している。

昭和30年11月、被告東電は、社長室に「原子力発電課」を設け、昭和30年代前半には、原子力発電所を設置する候補地点の選定を始め、昭和35年8月には、福島県において原発建設地を確保する方針を決め、相双地域に白羽の矢を立てた。

相双地域の沿岸部であれば、豊富な淡水源があり、かつ復水器冷却用水(海水)が得られることもひとつの要素であった。

しかし、より大きな要因は、相双地域が決して裕福でない農村地域であったことにある。財政力のない町にとって、原発立地による関連税収及び交付金等は魅力であり、原発関連の雇用創出、下請け業務の増加による産業の発展は原子力発電所の建設を容認するファクターとして十分であった。

被告東電は、昭和40年に大熊町の民有地を、昭和41年と昭和43年に双葉町の民有地を、それぞれ購入し、現在の福島第一原発の用地取得がほぼ完了した。

昭和40年に、福島第一原発の1号機が、日本原子力発電株式会社(原電)の敦賀原発1号機及び関西電力株式会社の美浜原発1号機と共に、導入が決定され、昭和46年3月26日に、営業運転を開始した。つまり、1号機は、日本で最も古い原子力発電所の1つである。

被告東電は、その後、富岡町と楢葉町にも用地を取得して福島第二原発を建設し、昭和57年から順次、合計4基の商業運転を開始した。

かくして、福島第一原発、同第二原発が順次営業を開始していくにつれて、相双地域の経済構造は大きく変容し、被告東電の発電所設備投資に依存するような経済へと陥れられた。

3 施設概要

福島第一原発は、昭和42年9月に1号機の建設に着工して以来、順次増設を重ね、現在6基のBWR(沸騰水型原子炉)がある。昭和46年3月に1号機、昭和49年7月に2号機、昭和51年3月に3号機、昭和53年10月に4号機、同年4月に5号機、昭和54年10月に6号機が、それぞれ運転を開始した。1号機は、被告東電にとっては初めての原発であり、本件原発事故の15日後には運転開始から40年が経過した。この中では最新の6号機であっても、すでに31年が経過していた。

 1号機は電気出力が46万kW、2~5号機は各々78.4万kW、いずれもマークⅠ型の原子炉格納容器を持つ。6号機は110万kWであり、マークⅡ型の原子炉格納容器となっている。

 1~4号機は大熊町、5及び6号機は双葉町にあり、敷地は海岸線を長軸に持つ半長円状の形状となっており、面積は約350万㎡である。敷地の中には、原子炉建屋、タービン建屋、免震重要棟などが設置されている。


1~4号機の敷地は取水のための海水ポンプが設置されている海側エリアがO.P.+4m(O.P.とは、小名浜港工事基準面(東京湾平均海面の下方0.727m)をいう。)、原子炉建屋やタービン建屋などがある主要建屋エリアがO.P.+10mであった。5号機及び6号機の敷地については、海側エリアが同じくO.P.+4m、主要建屋エリアがO.P.+13mであった。

【図】出典:政府事故調核心解説16頁より

1~4号機の敷地は取水のための海水ポンプが設置されている海側エリアがO.P.+4m(O.P.とは、小名浜港工事基準面(東京湾平均海面の下方0.727m)をいう。)、原子炉建屋やタービン建屋などがある主要建屋エリアがO.P.+10mであった。5号機及び6号機の敷地については、海側エリアが同じくO.P.+4m、主要建屋エリアがO.P.+13mであった。

【図】いずれも 出典:政府事故調技術解説18頁より

 福島第一原発の外部電源は、東京電力新福島変電所からの送電線6回線(大熊線1L~4L、夜の森線1L、2L)と、1号機に東北電力から供給される1回線(東電原子力線)の計7回線で構成されている。

【図】出典:送電系統概略図 国会事故調141頁より

【図】出典:電源の構成 政技術解説22頁より

第4 本件原発事故の発生

1 地震発生直前の福島第一原発の稼働状況

東日本大震災発生直前、福島第一原発では、1号機から3号機は通常運転中(1号機は定格電気出力運転中、2号機及び3号機は定格熱出力運転中)、4号機から6号機は定期検査中(5号機及び6号機は原子炉圧力容器上蓋を閉じた状態)であった。このうち、4号機は全燃料を使用済み燃料プールへ取り出して、原子炉内の炉心シュラウドの交換工事を実施していたところであった。

2 東日本大震災の発生および津波の到達

(1)東日本大震災の発生

 平成23年3月11日14時46分、マグニチュード9.0の東日本大震災が発生した。震源は、宮城県牡鹿半島の東南東約130km、深さ24km付近であった。宮城県栗原市では最大震度7が観測されたほか、宮城県、福島県、茨城県及び栃木県の4県37市町村で震度6強が観測された。

 福島第一原発との震央距離は178km、震源距離は180kmであった。同地震により、福島第一原発も震度6強の地震に見舞われた。


(2)東日本大震災に伴う津波の発生

① 東日本大震災に伴い、東北地方太平洋沿岸に津波が押し寄せた。第1波は3月11日15時27分頃、第2波は、同日15時35分頃にそれぞれ福島第一原発の約1.5km沖合の波高計の設置位置に到達し、その後も断続的に津波が到来した。このうち、福島第一原発の設備に対し壊滅的な打撃を与えたのは、15時35分頃に波高計を通過した第2波である。第1波の水位は波高計によれば4m程度であり、第1波では防波堤を大きく越える波は無かったというから、第1波によっては1~4号機の海水ポンプは被水停止しなかった。

 沖合1.5km地点を15時35分に通過した第2波が、4号機海側エリアに達した時刻は、波高計設置位置から防波堤突端までの約800mを津波が進むのにかかる時間は水深約10mの場合70~80秒程度と考えられることから、15時37分頃と考えられる。


② 第2波の水位は、波高計によれば15時15分ころから上昇し、15時27分ころに約4mのピークとなった後、いったん低下し、15時33分ころから急に上昇し、15時35分ころに測定限界であるO.P.+7.5mを超えている。

 津波は、O.P.+10mの防波堤も乗り越えたため、少なくとも10m以上の高さであり、局所的には、約17mの高さであったといえる。

 到来した津波は、まず、海岸に近いO.P.+4mの敷地に設置されていた非常用冷却系、及び非常用ディーゼル発電機用の「海水系ポンプ」すべてを浸水させ、さらに、主要建屋敷地(1~4号機側でO.P.+10m、5~6号機側でO.P.+13m)まで遡上し、福島第一原発の主要建屋設置エリアほぼ全域を浸水させた。浸水高は、1~4号機側では、O.P.約+11.5m~+15.5mであり、したがって、浸水深は、約1.5m~約5.5mであったとされる。

 海水は、扉や空気取り入れ口などから建屋内にも浸入し、タービン建屋、コントロール建屋および原子炉建屋の地下1階と中地下階が全面的に浸水した。

 タービン建屋地下1階には、非常用発電機や常用・非常用の交流電源盤電源系が、コントロール建屋の地下1階には直流電源系が(1、2、4号機)、そして原子炉建屋地下1階には、RCICやHPCIなどの非常用冷却系(ポンプなど)の多くが設置されていた。

3 本件原発事故の発生経過

【図】出典:政府事故調技術解説142頁より

【図】出典:国会事故調24頁より

【図】出典:過酷事故の連鎖 政府事故調技術解説36頁より

(1)1号機

 平成23年3月11日14時46分に東日本大震災が発生し、1号機は原子炉が自動停止した。この地震によって外部電源が全て喪失し、地震発生の1分後に非常用ディーゼル発電機(D/G)が起動した。

 その後、14時52分に非常用復水器(IC)が自動起動したが、約10分後に職員により手動で停止され、その後15時30分ころまで原子炉はIC1系統の手動起動、停止によって圧力の範囲が制御されていた。

 しかしながら、その後発電所に津波が到達し、そのころ非常用D/Gも停止し、あわせてバッテリーを電源とする直流電源も喪失した結果、1号機は全ての交流・直流電源を喪失するに至った。

 これにより非常用復水器の弁操作ができない状態となり、同じく直流電源で起動する高圧注水系も起動不能となった。また、この時期に格納容器冷却系、機器の冷却に必要な非常用海水系も機能喪失し、炉心の冷却が不可能となった。

 そして、IC隔離から約2時間が経過した17時30分ころには、炉心上部が露出し、溶解が始まっていたと推定され、あわせてジルコニウム-水反応による水素の発生が起こり始めていたと考えられる。

 さらに、21時51分ころ、原子炉建屋内部の放射線量が上昇したことから立ち入り禁止の措置が取られた時点では、既に放射能が充満した格納容器から原子炉建屋への流出が始まっていたものと考えられる。

 その後、翌2時45分ころには、原子炉圧力とドライウェル圧力がほぼ同じ値となり、少なくともこのころまでに原子炉圧力容器底部近辺に破損が生じ、原子炉内の高温高圧の気体がドライウェル内へ流出した。この時点における原子炉格納容器内の圧力は、既に設計温度と圧力(430kPa)を大幅に超える840kPa(2時30分)となっていたことから、格納容器の気密は破れ、原子炉建屋内に圧力容器内で生じた放射性物質や水蒸気、水素等が噴出され続け、さらに原子炉建屋外部にも漏れ出した。

 1号機に対してはこの間全く注水をすることができず、ようやく注水をすることができたのは、4時ころになってからであった。

 6時50分になって、経済産業大臣から、電源復旧に優先して手動でのベントを実施するよう命令が出された。

 その後、同日零時過ぎから進められてきたベントに向けた作業が継続されたが、実際にベントが成功したと考えられるのは、圧力抑制室ベント弁を動作させるために仮設の空気圧縮機を設置した後の14時30分ころであった。このベントにより、大気中に大量の放射性物質が放出された。

 ベント作業と同時期にドライウェルの圧力は低下したものの、同日15時36分に、高温になった燃料被覆管とジルコニウム-水反応によって生じたと考えられる水素が原子炉建屋内で爆発し、原子炉建屋の屋根及び最上階の外壁が吹き飛び、原子炉建屋内に充満していた放射性物質も拡散した。


(2)2号機

 3月11日14時46分、東日本大震災が発生し、2号機は自動停止した。地震により外部電源を喪失したが、非常用ディーゼル発電機(D/G)が自動起動した。

 その後、津波が到来し、交流・直流電源をすべて喪失し、電動の弁やポンプ、監視計器などが動かなくなった。

 これにより、原子炉水位を確認できず、また、原子炉隔離時冷却系(RCIC)による注水状況が不明となった。

 22時頃に水位計の指示が回復し、有効燃料頂(TAF)+3400mmであることが確認され、その後RCICの作動も確認された。しかしながら、RCICによる注水は、電源が喪失し制御ができない状態にあったため、電源が復旧しない限り、原子炉を減圧し消防車により注水するしかなかった。

 3月14日11時01分、3号機爆発の影響で、消防車や注水ラインが使用不可となるとともに、ベントに必要な空気作動弁が閉動作となった。その後、注水ラインの復旧作業を行っていたが、13時25分には2号機のRCICが機能を喪失した。この時点で、16時30分ころには炉心の露出が始まることが想定されたが、注水準備作業は強い余震に阻まれ中断した。16時には注水準備作業が再開されたが、状況は回復に向かうことなく、炉心の露出が始まった。18時22分には、炉心が完全に露出した。原子炉圧力を下げるため、主蒸気逃がし安全弁(SR弁)を開いたが、格納容器の圧力には予想した上昇が見られなかった(格納容器から原子炉建屋への漏えいが生じていたものと推測される。)。その後、消防車による海水の注入が開始されたが、注水により原子炉圧力が上昇して注水が停止し、再び原子炉圧力を下げてから注水を開始することを繰り返した。21時20分ころには2台の主蒸気逃がし安全弁(SR弁)を開くことで原子炉の減圧を加速し、これにより原子炉圧力容器への注水が進むようになったが、それでも原子炉の空だき状態から脱することができなかった。

 3月15日6時14分頃、4号機の原子炉建屋で爆発が発生したが、同じ頃、2号機でも大きな衝撃音と振動が発生し、ほぼ同時期に圧力抑制室圧力が最低指示限界を示した。その直後の正門における放射線レベルが0.6mSv/h近くまで上昇した。

 そのため、現場環境が悪化し、さらなる危険が予知できない状況となり、大多数の作業員を避難させた。

 同日7時25分から11時25分にかけ、2号機の監視が中断していた間、格納容器の圧力が0.155MPa[絶対圧力]まで低下していることが確認された。これは格納容器の破損によるものと考えられ、最大量の放射性物質が放出・拡散された。


(3)3号機

 3月11日14時46分に東日本大震災が発生し、3号機は、原子炉が自動スクラムし、非常用ディーゼル発電機(D/G)が自動起動した。

 その後、津波が到達し、全交流電源が喪失した(ただし、津波と全交流電源喪失の前後関係は不明)が、直流電源は残った。16時03分には、原子炉隔離時冷却系(RCIC)が手動起動した。

 3月12日11時36分、RCICが停止してしまったが、12時35分、高圧注水系(HPCI)が自動起動し、原子炉水位を回復させた。

 3月13日2時42分、直流電源が枯渇して全電源を喪失し、HPCIが停止した。これにより、原子炉への注水手段がなくなり、原子炉圧力が急上昇し、4時15分から炉心の露出が始まった。このときから、ジルコニウム-水反応による大量の水素発生が始まったものと思われる。7時35分には、原子炉水位が、炉心支持板まで低下した。

 8時41分、格納容器のベント操作に成功し、格納容器圧力が低下に転じた。また、バッテリーを収集し、原子炉の減圧にも成功し、淡水の注水も開始された。

 ところが、12時20分、注水用の淡水が枯渇し、淡水注入が終了した。原子炉水位は有効燃料頂部(TAF)レベル以下となり、13時12分には海水注入が開始されたが、TAFレベルを回復しなかった。

 3月14日1時10分、逆流弁ピット内の海水が少なくなり、海水注入停止し、3時20分に海水注入を再開した。しかし、4時30分には、3号機の炉心は完全に露出した。9時20分には、海から直接海水を取水して逆流弁ピットへ送水を始めた。

 11時01分、原子炉建屋が爆発し、大量の放射性物質が拡散した。消防車やホースが損傷し、海水の注入も停止した。また、逆流弁ピットが瓦礫により使用できなくなった。16時30分ころから、海から直接海水を取水して、原子炉へ注水することを再開した。


(4)4号機

 4号機は、3月11日14時46分の地震発生当時、定期検査中であり、原子炉内から全燃料を使用済み燃料プールに取り出され、使用済み燃料プールには燃料集合体1535体が貯蔵されていた。

 同日15時30分に前後して津波が到達し、直流電源及び交流電源がすべて喪失するとともに、使用済み燃料プールの冷却機能及び補給水機能が喪失した。

 使用済み燃料プールにおける貯蔵燃料の発熱量が大きく、3月下旬には燃料上端まで水位が失われることが予想され、冷却不能に陥り燃料の露出・溶融に至った場合、周辺に及ぼす影響は甚大であることが予想された。

 このような状況のもと、3月14日4時08分に、運転員によって、使用済み燃料プール水温が84℃と高いことが確認された。同月15日6時14分ころには、水素爆発が生じ、大量の放射性物質が拡散した。原子炉建屋5階屋根付近には損傷が確認されている。

 また、同月15日9時38分及び16日5時45分ころに、原子炉建屋にて火災が発生されていることが確認された。

 いずれにせよ、何らかの手段で注水を行わなければならない状況であったが、結局のところ、3月20日から放水車による放水、同月22日からコンクリートポンプ車による放水が行われ、6月16日から仮設の燃料プール注水設備による注水が開始され、7月31日から代替冷却系による冷却が開始されるに至った。


【図】出典:政府事故調技術解説43頁より

(5)5号機・6号機

 5、6号機は、本件原発事故時、定期検査のため停止中で、原子炉に燃料を装荷した状態であった。そして、6号機は、冷温停止状態であった。

 3月11日14時46分、東日本大震災が発生し、5、6号機の非常用ディーゼル発電機(D/G)が自動起動した。

 その後、津波が到達し、6号機のD/G2台が停止した。また、5号機の全交流電源が喪失した(ただし、津波と全交流電源喪失の前後関係は不明)。

 ただ、6号機のD/G1台が運転を維持しており、3月12日8時13分には、6号機のD/Gから、5号機へ、直流電源の一部の電源を融通することが可能となった。14時42分、6号機のD/Gからの電源により、5、6号中央制御室内の空気浄化が開始した。

 3月13日、6号機の復水補給水系(MUWC)ポンプが手動起動した。そして、6号機のD/Gの電源により、6号機MUWCによる原子炉注水を開始した。その後、6号機のD/Gの電源により、5号機MUWCにも電源供給を開始し、5号機のMUWCポンプも手動起動した。

 3月14日、5号機の復水補給水系(MUWC)による原子炉注水を開始した。その後、5、6号機使用済燃料プールへの水補給も開始した。

 3月19日、5、6号機とも、残留熱除去系(RHR)が手動起動し、3月20日、原子炉水の温度は100℃未満となった。


(6)福島第二原発の状況

 福島第二原発では、1ないし4号機全機が定格熱出力一定で運転中であったが、地震によって原子炉スクラムした。また、地震の影響により、外部電源4回線のうち3回線の送電機能が喪失したが、1回線については送電機能が維持された。

 続いて、15時22分には津波第一波が到達し、津波による影響により、非常用ディーゼル発電機や所内配電系統設備、残留熱除去海水系(RHRS)ポンプ等が、浸水被害及びその影響によって、機能を喪失した。

 その後、危機脱出活動として、原子炉隔離時冷却系(RCIC)の運転によって原子炉の圧力と水位を制御しつつ、外部の水源から原子炉に注水するための準備が行われた。すなわち、各号機は、復水補給水系(MUWC)ポンプを起動させ、次いで、主蒸気逃がし弁(SR弁)を開いて原子炉減圧し、3月12日3時すぎころから、1ないし3号機の原子炉注水を徐々にRCICからMUWCへと切り替えていった。そして、3月14日までにMUWCによる原子炉冷却から残留熱除去系(RHR)による残留熱除去運転に切り替えられた。他方、4号機はMUWCではなく、高圧炉心スプレイ系(HPCS)によってその後のRHRによる残留熱除去運転へと引き継いでいった。

第5 放射性物質の拡散と避難・避難指示

1 放射性物質の拡散

(1)放射性物質の放出

① 福島第一原発1号機、3号機におけるベント作業及び1号機、3号機、4号機の水素爆発による原子炉建屋の大破、2号機の格納容器の破損により、放射性物質が環境中に放出された。特に平成23年3月15日の放射性物質放出は大規模であり、同日午前9時には、福島第一原発構内における正門付近のモニタリングにおいて毎時1万1930μSvを計測した。この数値は、計測開始当初(同月11日午後5時40分)における同所の放射線量の約21万倍にあたる(毎時56nSv、なお1nSvは1μSvの1000分の1)。

 大気中に放出された放射性物質は、風の影響を受け大気中を北西方向に流れつつ、雨等により地表に沈着し、土壌及び河川水を汚染した。

② また、福島第一原発には、冷却の為に大量の水が注入されたところ、配管、圧力容器及び格納容器が破損していたため、放射性物質を含む水が海中に流出した。特に、放射性物質が多く含まれる高濃度の汚染水が、2号機及び3号機から多量に流出し、周辺海域を汚染した。

 加えて、被告東電は、2号機の高濃度汚染水の移送先確保のため、集中廃棄物処理施設等に溜まった低濃度汚染水を意図的に海中に放出した。


(2)汚染された範囲

① 環境省によれば、福島県の総面積1万3782k㎡のうち、1778k㎡の土地が年間5mSv以上の空間線量を有する可能性のある地域に、同県内の515k㎡の土地が年間20mSv以上の空間線量を発する可能性のある地域になった。

② 平成23年3月11日から平成24年3月11日までの積算線量の推定値は、大熊町で最大482mSv、浪江町で最大210.6mSv、飯舘村で最大92.8mSv、伊達市で最大18.2mSvと推計される。

 一方、福島第一原発から20km圏内であっても、楢葉町では最大14.1mSvと推定されており、福島第一原発から北西方向の地域に特に高い線量地域が広がっている。 


(3)放射性物質の放出量とINES評価

① 本件事故によって大気中に放出された放射性物質の線量は、平成23年3月12日から同月31日までの間だけでも、ヨウ素131が500PBq(1PBq:1ペタベクレルは1000テラBq)、セシウム137が10PBqと推計され、国際原子力事故評価尺度(INES)によるヨウ素換算にして約900PBqとされている。この値は、昭和61年発生のチェルノブイリ原発事故におけるINESによるヨウ素換算5200PBqの約6分の1の放出量になる。

 放出された放射性セシウムは、地表に降下し、次の地図に示すように土壌に沈着している。

【図】出典:国会事故調330頁より

② また、海洋への放射性物質の放出量は、2号機から合計4.7PBq(平成23年4月1日から同月6日まで)、集中廃棄物処理施設等から合計1500億Bq(同年4月4日から同月10日まで)、3号機から合計20兆Bq(=20テラBq、同年5月10日から同月11日まで)と推計される。


 ③ 保安院は、平成23年4月12日時点において、本件事故により広範囲で人の健康や環境に影響を及ぼす大量の放射性物質が放出されているとし、INES評価に基づき、「レベル7(深刻な事故)」に事故評価を引き上げた。これはスリーマイル島原発事故の「レベル5」を超え、チェルノブイリ原発事故と同レベルの評価である。

2 本件原発事故に基づく避難区域、警戒区域の指定避難指示

《避難区域等の設定の経過

H23.3.11

14:46

15:42

16:45

19:03

20:50

21:23


地震発生

被告東電による第10条通報(全交流電源喪失〔SBO〕)

東電による第15条通報(非常用炉心冷却装置注水不能)

福島第一原発の原子力緊急事態宣言

福島県が福島第一原発の半径km内に避難指示

福島第一原発の半径km圏内に避難指示

kmを超え10km圏内に屋内退避指示

H23.3.

:44

:45



15:36

17:39

18:25

福島第一原発の半径10km圏内に避難指示

福島第二原発の原子力緊急事態宣言

福島第二原発の半径km圏内に避難指示

福島第二原発の半径km以上10km圏内に屋内退避指示

福島第一原発1号機原子炉建屋で水素爆発発生

福島第二原発の避難指示の範囲を半径10km圏内に拡大

福島第一原発の避難指示の範囲を半径20km圏内に拡大

H23.3.

11:01

福島第一原発3号機原子炉建屋で水素爆発発生

H23.3.

午前中

11:01

福島第一原発2号機の格納容器破損

福島第一原発の半径20km以上30km圏内に屋内退避指示

H23.3.

南相馬市が市民に対して一時避難要請

H23.3.25

福島第一原発の半径20km以上30km圏内に自主避難要請

H23.4.21



福島第二原発の避難指示を半径10km圏内から半径km圏内に縮小

福島第一原発の半径20km圏内を「警戒区域」に設定。同圏内を「避難区域」とし、避難指示を継続    

H23.4.22



いわき市を除いて屋内退避指示を解除

屋内退避指示の出されていた範囲その他一部の地域に、「計画的避難区域」、「緊急時避難準備区域」を設定

H23.6.16~

「特定避難勧奨地域」を順次指定

H23.9.30

緊急時避難準備区域の解除

H24.4.1~

警戒区域等を順次見直し。「避難指示解除準備区域」、「居住制限区域」、「帰還困難区域」を設定指示

 当時の菅直人内閣総理大臣(以下「菅総理」という)は、地震発生当日の平成23年3月11日19時03分、福島第一原発について、原子力災害対策特別措置法15条2項に基づいて原子力緊急事態宣言を発令し、同法16条1項に基づき、原子力災害対策本部を設置した。


 同日21時23分、菅総理は、福島第一原発から半径3km圏内の住民等に対する避難指示、同半径3kmを超え半径10km圏内の住民等に対する屋内退避指示を行った。翌日の12日5時44分、菅総理は、福島第一原発の半径10km圏内に避難指示を出した。福島第一原発1号機及び2号機において、格納容器内の圧力上昇を受けてのベント実施が開始予定時刻になっても行われなかったことが契機であった。さらに同日15時36分、福島第一原発1号機原子炉建屋で水素爆発が発生し、菅総理は、同日18時25分、福島第一原発の半径20km圏内に避難指示を出した。

 菅総理は、同月15日11時00分、福島第一原発の半径20kmを超え30km圏内に屋内退避指示を出した。その前日には、福島第一原発3号機原子炉建屋で水素爆発が発生し、4号機では火災が発生していた。2号機でも、格納容器に繋がるサプレッションプールに欠損が生じ、同機から煙様のものが確認されていた。同月25日、菅総理は、福島第一原発の半径20kmを超え30km圏内に自主避難要請を出した。


 同年4月21日、菅総理は、福島第一原発の半径20km圏内を「警戒区域」の設定を指示した(翌22日午前0時、福島県知事や市町村長によって警戒区域が設定された。)。同じく4月22日、菅総理は、屋内退避指示を解除のうえ、「計画的避難区域」及び「緊急時避難準備区域」の設定を指示した。「計画的避難区域」とは、「原則として概ね1月程度の間に順次当該区域外へ避難のための立ち退きを行うこと」を求めた区域とされ、同区域の設定基準は、福島第一、第二原発事故発生から1年の期間内に積算線量が20mSvに達するおそれのある地域とされた。「緊急時避難準備区域」とは、「常に緊急時に避難のための立退き又は屋内への退避が可能な準備を行うこと」を求めた区域とされた。避難等の指示ないし区域設定について、放射線量の数値を基準としたものは、この「計画的避難区域」が初めてであった。


 同年6月16日から、菅総理は、「特定避難勧奨地点」の設定を順次指示した。「特定避難勧奨地点」とは、計画的避難区域及び警戒区域以外の場所であって、地域的な広がりが見られない福島第一、第二原発事故発生から1年の積算線量が20mSvを超えると推定させる空間線量率が続いている地点であり、政府が住居単位で設定した上、そこに居住する住民に対する注意喚起、自主避難の支援・促進を行うことを表明した地点とされた。

 同年9月30日、当時の野田佳彦内閣総理大臣(以下「野田総理」という。)は、緊急時避難準備区域を全面解除した。

 同年12月16日、野田総理は、福島第一原発の「冷温停止状態」を宣言し、あわせて、警戒区域と緊急時避難準備区域を見直す方針を明らかにした。


 野田総理は、平成24年4月1日には福島県双葉郡川内村と同県田村市について、同月16日には同県南相馬市について、それぞれ区域再編を行い、警戒区域及び計画的避難区域のそれぞれ一部を解除して、避難指示解除準備区域、居住制限区域、帰宅困難区域の設定を指示した。「避難指示解除準備区域」は、年間積算線量20mSv以下となることが確実であることが確認された地域とされた。「居住制限区域」は、年間積算線量が20mSvを超えるおそれがあり、住民の被ばく線量を低減する観点から引き続き避難の継続を求める地域とされた。「帰宅困難区域」とは、5年間を経過してもなお、年間積算線量が20mSvを下回らないおそれのある、現時点で年間積算線量が50mSv超の地域とされた。


 その後も、同県相馬郡飯舘村、双葉郡大熊町・葛尾村・富岡町・浪江町・楢葉町について順次区域再編が行われた。

3 避難

(1)避難の経緯や状況

 避難者の多くは、平成23年3月11日午後7時03分に原子力緊急事態宣言が出され、さらに同日午後8時50分に福島第一原発の半径2kmに避難指示が出されたにもかかわらず、情報伝達不足のため、福島第一原発で事故が発生している事実に気付いていなかった。そのため、避難者の中には、ほとんど状況を把握できないまま、とにかく避難したほうがよいという情報だけを頼りに、自主的に避難を始めた者も少なくなかった。また、避難指示に基づいて避難を始めた避難者であっても、避難指示の原因、すなわち原発事故に基づく避難指示であることが伝えられていない者も少なくなかった。多くの避難者が避難を開始したのも、避難指示発令後、数時間が経過してからのことであった。

 このような情報不足のなか、結局、避難者は、なぜ避難しなければならないのか、どこに避難すればよいのか、いつ戻れるのか分からないまま、被ばくの恐怖に怯えながら、とにかく着の身着のままで避難することを余儀なくされた。

 他方、平成23年3月15日の福島第一原発の半径20km以上30km圏内への屋内待避指示、あるいは同月25日の同圏内への自主避難要請が出されるよりも前に、自主的に避難を行った者も多かった。これらの避難者も、ほとんど情報がない中での避難であり、たどり着いた避難先も高線量であることが発覚し、さらなる避難を重ねたものも少なくなかった。

 福島第一・第二原発に近い双葉町、大熊町、富岡町、楢葉町、浪江町においては、70パーセント前後の被害者が4回以上の移動を行っている。


(2)「SPEEDI」による予測結果の非公表

 「SPEEDI」(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)による放射性物質拡散予測において、少なくとも、3月15日午後6時から午後7時の拡散予測では、福島第一原発から北西方向、すなわち南相馬市、飯舘村の方向に向かって拡散するという予測結果が出ていた。

 それにもかかわらず、事故発生から10日以上も経過した3月23日まで政府はこれを公表しなかったため、放射性物質の拡散が予測されていることを知らないままに、拡散予測地域に避難してしまった者も多数存在した。

 また、SPEEDIによる放射性物質拡散予測は同心円状ではないにもかかわらず、4月22日の計画的避難区域及び緊急時避難準備区域の設定まで、避難指示などは放射線量を基準とすることなく、「福島第一原発の半径○○km圏内」という同心円状の範囲に指示ないし区域設定が行われていた。飯舘村、川俣町、葛尾村などは、SPEEDIの予測では放射性物質拡散地域であり、実際にも高線量地域となっていたにもかかわらず、同心円状の避難等の指示圏内に含まれておらず、同地域からの避難の遅れを招いた。

第3章 被告東電と被告国の責任(総論)

第1 被告東電の責任総論

1 原子力損害の賠償に関する法律3条1項に基づく責任

(1)原子力損害の賠償に関する法律について

原子力損害の賠償に関する法律(以下「原賠法」という。)は、原発事故の被害者の救済と原子力事業者の健全な発達を目的とし、原子炉の運転等により生じた原子力損害について、原子力事業者に無過失責任、責任集中、損害賠償措置の強制など厳格な責任と義務を課す一方で、万が一、原子力損害が発生した場合には国も協力して被害救済などを行い、被害者の保護に万全を期するための法律である。


(2)本件原発事故における原賠法3条1項の適用について

原賠法3条1項は、「原子炉の運転等の際、当該原子炉の運転等により原子力損害を与えたときは、当該原子炉の運転等に係る原子力事業者がその損害を賠償する責めに任ずる。」と規定する。

 「原子力損害」とは、「核燃料物質の原子核分裂の過程の作用又は核燃料物質等の放射線の作用若しくは毒性的作用(これらを摂取し、又は吸入することにより人体に中毒及びその続発症を及ぼすものをいう。)により生じた損害」である(原賠法2条2項)。

 福島第一原発が「原子炉」であり、被告東電が「原子力事業者」であることは明らかである。また、本件原発事故の経緯は、第2章第4(42頁)及び同第5(51頁)で述べたとおりであり、原告らの損害が、上記「原子力損害」にあたることも明らかである。

 したがって、被告東電は、原賠法3条1項により無過失責任を負い、後述する原告らの損害を賠償する義務を負う。

2 民法709条に基づく責任

(1)被告東電が民法709条に基づく損害賠償義務を負うこと

 上記のとおり、被告東電が原賠法3条1項に基づく損害賠償義務を負うことは明らかであるが、それに加えて、原告らは被告東電に対して、以下の理由から、民法709条に基づく損害賠償を請求する。

 

① 被告国との共同不法行為責任の前提として

まず、本件事故は被告東電と被告国との共同不法行為によるものである。

被告国の不法行為責任については後述するが、被告国の過失責任を認定するにあたり、共同不法行為者である被告東電の過失責任が認定される必要がある。また、被告国の過失と、被告東電の過失は密接不可分の関係にあり、被告東電の過失を主張・立証することは、被告国に対する過失責任の主張・立証においても重要な事項と位置づけられる。


② 民法709条の理念の実現 

  また、本件事故のような甚大な被害を出した被告東電に過失責任が存在ことを明らかにすることは、損害の補填に加えて将来の不法行為を抑止することを制度趣旨とした民法709条の理念にも合致する。


③ 慰謝料を含む損害額の適正な算定

  そして、請求する損害項目のうち、例えば、慰謝料については、被告東電の行為に過失がある場合、無過失責任である場合と比べて増額されるべきである。原告らとしては、被告東電の行為に過失があったことを明らかにすることにより、請求する慰謝料の金額に影響が及ぶ可能性がある以上、過失責任を追及する実益がある。


(2)被告東電に課される原子力事業者としての高度の注意義務


① 注意義務の程度

民法709条の過失とは、一般的には注意義務に違反する行為であるとされ、注意義務に違反する行為とは、予見可能性を前提とした結果回避義務に違反する行為であるとされている。結果回避義務について、具体的な事案において、いかなる内容の義務を、どの程度の厳格さにおいて負うかは、その義務発生の基盤となる社会的関係の態様によって決せられる。


② 被告東電に課される高度な注意義務

原子力発電所は、それ自体極めて高度の危険性を内在しており、第一時的にその危険性をコントロールすることが可能な立場にいるのは、原子力発電所を設置・管理・運転する事業者たる被告東電である。そして、ひとたび原子力発電所で過酷な事故が発生すれば、近隣住民はもとより、極めて広範囲の一般市民の生命・健康・財産に重大な被害をもたらすことも明らかである。

 このような社会的関係を前提とするならば、原子力発電所を稼働する原子力事業者は、常に最高の知識や技術を用いて事故の防止や放射性物質が炉外に漏出した場合の影響について調査研究を尽くすとともに、安全性の確保に疑念が生じた場合には、直ちに稼働を中止するなどして必要最大限の防止措置を講じ、特に地域住民の生命・健康をはじめとする人格的利益に対する危害を未然に防止すべき高度の注意義務を負う。このような判断枠組は、新潟水俣病訴訟(新潟地判昭和46年9月29日〔判時642号96頁〕)や熊本水俣病訴訟(熊本地判昭和48年3月20日〔判時696号15頁〕)で確立したものである。

 また、上記のとおり、常に最高の知識や技術を用いて、事故の防止や放射性物質が炉外に漏出した場合の影響について調査研究を尽くす義務があるということは、すなわち、事故の原因となり得る地震・津波などの自然災害の調査についても万全を尽くし、原発事故の危険を予見し回避すべき義務を負っていることを意味する。そして、その調査研究を踏まえ、人々の生命・健康を脅かす過酷な事故に繋がるような施設的・制度的欠陥を発見し、原発事故を防止する義務を負うことも当然である。

 すなわち、被告東電は、原発という極めて高度の危険性を有する施設を設置・管理・運転する事業者として、万全な地震対策・耐震設計を行い、また地震による津波に対する万全の防御も行い、万一にも全電源を喪失し冷却機能を失って過酷な事故に至るなどという事態を招かぬよう、常に原発の施設・運営体制をチェックし、事故防止の対策をとる高度な注意義務を負っている。

 加えて、仮に過酷な事故発生に繋がるような何らかの事態が生じた場合にも事故や被害が最小限で食い止められるよう、リスク軽減のためのシビアアクシデント対策を行う高度な義務を負う。

第2 被告国の責任(総論)

1 被告国の損害賠償責任

 被告国は、国家賠償法(以下「国賠法」という)1条1項(「国又は公共団体の公権力の行使に当る公務員が、その職務を行うについて、故意又は過失によつて違法に他人に損害を加えたときは、国又は公共団体が、これを賠償する責に任ずる。」)に基づき、原告らに対して損害賠償責任を負う。

2 規制権限の不行使

 本件では、福島第一原発を設置した被告東電に対して規制権限を行使しなかった被告国の不作為の違法性が問題となるところ、判例も、具体的事情に照らして国の規制権限不行使が違法になることを肯定している(最判平成元年11月24日、最判平成7年6月23日、最判平成16年10月15日他多数)。そして、違法性の要素となる具体的事情として、①被侵害法益の重要性、②予見可能性の存在、③結果回避可能性の存在、④期待可能性の存在の各要素にそれぞれ整理して検討するのが一般的である。

 この点、本件事故における被侵害法益(①)は、国民個々人の生命・身体はもちろん個人と地域社会とのつながりをも含み、これらは一旦失われると回復不可能な極めて重要な法益である。予見可能性及び結果回避可能性の存在(②及び③)は項を改めて後述する。期待可能性(④)については、原子力事業者による原発事故の危険性を、専門的知見をもって把握することができるのは被告国のみであり、また、事業者は費用抑制のため安全対策に消極的になることは周知のとおりであり、予防原則の見地から規制権限を適切に行使することができるのは、被告国のみであった。

 したがって、被告国には、後記各規制権限を行使して本件事故を未然に予防する法的義務が存したというべきである。以下、本章においては、被告国に付与された規制権限を概観した上で、被告国に責任集中原則が適用されないことを述べる。


3 被告国の規制権限の概要

(1)原子炉等規制法(平成24年改正前)

     福島第一原発は、「核原料物質、核燃料物質及び原子炉の規制に関する法律」(いわゆる「原子炉等規制法」、以下「炉規法」という。なお、以下で述べるものは、断りのない限り、平成24年改正前のものを示す)2条4項及び原子力基本法3条4号に定める「原子炉」に該当するため、その設置にあたって炉規法に基づく規制を受ける。

 もっとも、福島第一原発は、電気事業法38条3項に定める「事業用電気工作物」にも該当し、電気事業法及び同法に基づく命令の規定による検査を受けることから、炉規法に基づき主務省令で定める技術上の基準に適合させる規定(同法27ないし29条)は適用されない(同法73条)。

 ただし、以下に述べるとおり、電気事業法の解釈にあたって、炉規法の解釈指針が参照される関係にあるため、主務省令で定める技術上の基準が充たされる必要がある。


(2)電気事業法

     福島第一原発は、電気事業法38条3項に定める「事業用電気工作物」に該当するところ、「事業用電気工作物を設置する者は、事業用電気工作物を主務省令で定める技術基準に適合するよう維持しなければならない」(同法39条1項)とした上で、この経済産業省令は「事業用電気工作物は、人体に危害を及ぼし、又は物件に損傷を与えないようにすること」(同条2項1号)と定めている。

 そして、主務大臣は「事業用電気工作物が前条第一項の主務省令で定める技術基準に適合していないと認めるときは、事業用電気工作物を設置する者に対し、その技術基準に適合するように事業用電気工作物を修理し、改造し、若しくは移転し、若しくはその使用を一時停止すべきことを命じ、又はその使用を制限すること」(同法40条)ができるとし、国に広汎な規制権限を付与している。


(3)原子力発電所に関する国の規制権限の整理

 原子炉の設置に当たっては経済産業大臣の許可が必要となるが(炉規法23条1項)、その際、経産大臣は、設置者に技術的能力があるか否か、原子炉施設の構造、設備等が災害の防止上支障がないものであるか否かを判断する(同法24条1項)。もっとも、この事務を実際につかさどっていたのは原子力安全・保安院であった(平成24年改正前経済産業省設置法20条3項、同法4条64号)。

 経産大臣はその判断にあたり、原子力安全委員会の意見を聞く必要がある(炉規法24条2項)。

 原子力安全委員会は、経産大臣から意見を聞かれた際は、自身が策定した安全審査指針類(「発電用軽水型原子炉施設に関する安全審査指針」、「発電用原子炉施設に関する耐震設計審査指針」、「発電用軽水型原子炉施設の安全評価に関する審査指針」など)に基づいて、許可の可否についての意見を述べる。

 他方、原子炉の設置後は、電気事業者に、原子炉を主務省令(経産省令、通産省令)で定める技術基準に適合するよう維持する義務が課され(電気事業法39条)、原子炉がこの技術基準に適合していない場合、経産大臣は、原子炉等の使用の制限等ができる(同法40条)。

 ここで電気事業法39条にいう「主務省令」とは、具体的には「発電用原子力設備に関する技術基準を定める省令」(以下、「技術基準省令」という。)のことであるが、同省令について独立行政法人原子力安全基盤機構が作成した「発電用原子力設備に関する技術基準を定める省令と解釈に対する解説」(以下、「解説」という)は、原子炉規制法24条2項に基づき作成された「安全審査指針類」を参照している。この「解説」は、電気事業法及び技術基準省令の解釈にあたり重要な意味を持つ。

【図】原告作成

(4)技術基準の制定権限

 これら被告国の規制の根拠となる技術基準は、いずれも「経済産業省令で定める」とされていた。

 したがって、経産大臣は、知見の進展に伴い、事故防止の観点から、新たに実用発電用原子炉が適合すべき技術基準が生じたと認識した場合、省令を改正して必要な技術基準を制定する権限も有していた。

4 規制権限行使の社会的要請

 従来の判例で規制権限の不行使が問題となった事例では、事業者が独自の立場で推進した事業に対する被告国の規制が問題であった。しかし、本件は、これら事例とは明らかに一線を画する。なぜなら、被告国は、以下のとおり、原子力発電所事業を国策として強力に推進してきたからである。

 まず、政府は、原子力委員会を設置し、昭和31年から9度にわたって「原子力開発、研究及び利用に関する長期計画」を策定し、原子力技術の研究開発を国策として推進することを明確にした。

 また、豊富な国家資金を投入して、特殊法人(日本原子力研究所)、旧動力炉・核燃料開発事業団、理化学研究所、国立試験研究機関(放射線医学総合研究所、金属材料技術研究所等)、非営利法人(原子力発電技術機構、電力中央研究所、核物質管理センター、原子力環境整備センター)など政府関係研究開発機関を創設してきた。

 さらに、政府は昭和49年に「電源三法」(電源開発促進税法、電源開発促進対策特別会計法、発電用施設周辺地域整備法)を制定して、電力消費者から電源開発促進税を徴収し、これを電源立地対策(電源立地地域の振興・インフラ整備・産業振興等)や、核燃料サイクルの研究開発の促進等に使用してきた。

 原子力災害が一旦発生すれば、極めて多くの市民の生命、身体、財産に重大な被害をもたらすのみならず、社会経済、生活全体に深刻な影響を与える。したがって、何があっても原子力災害を発生させてはならないことは明らかであり、被告国がかかる災害を防止すべく、規制権限を適切に行使することは社会の絶対的要請である。ましてや、被告国は、上記のとおり原発事業を積極的に推進していたのであるから、それとの均衡上、原子力災害を防止するため規制権限はより一層積極的に行使されなければならない。したがって、たとえ原子力災害が発生する明らかに差し迫った危険性がないとしても、原子力災害が発生する危険性が予見されれば規制権限を積極的に行使することが要請されるというべきである。

5 責任集中原則(原賠法4条1項)との関係

 原賠法3条1項本文は、「原子炉の運転等の際、当該原子炉の運転等により原子力損害を与えたときは、当該原子炉の運転等に係る原子力事業者がその損害を賠償する責めに任ずる。」とし、原子力事業者の無過失責任を規定している。

 また、原賠法4条1項は、「前条の場合においては、同条の規定により損害を賠償する責めに任ずべき原子力事業者以外の者は、その損害を賠償する責めに任じない」として、原子力事業者以外の者は一切、被害者に賠償する必要がないことを規定し、原子力事業者への責任集中を定めている(責任集中原則)。

 しかし、原賠法の立法目的は、原賠法1条が、「この法律は、原子炉の運転等により原子力損害が生じた場合における損害賠償に関する基本的制度を定め、もって被害者の保護を図り、及び原子力事業の健全な発達に資することを目的とする」と規定しているとおり、被害者保護と原子力事業の健全な発達にある。

 そして、原賠法4条1項の趣旨は、第1に、被害者保護の観点から、被害者が容易に賠償責任を追及する相手方を知りうるようにし、第2に、原子力事業者に機器や原料等を提供している関連事業者に、莫大になりかねない原発事故等の賠償責任を予め免れさせ、原子力事業に関わり易くして、もって「原子力事業の健全な発達」を達成しようとする点にある。

 この趣旨からすれば、原賠法4条は、被告国に責任があるような場合にまで、免責を受けさせることを予定していないというべきである。

 したがって、責任集中原則(原賠法4条1項)によっても被告国の責任は免れない。

第4章 地震に関する被告らの責任

第1 地震に関する知見及び耐震設計審査指針の策定等

(国会事故調61頁参照)

1 福島第一原発1号機における当初の地震動の想定

 被告東電は、昭和41年7月1日、福島第一原発1号機を新設するために、内閣総理大臣に対し「福島原子力発電所の原子炉設置許可申請書」を提出した。その添付書類には、敷地付近の地震について「福島県周辺は、会津付近をのぞいては、ほとんど顕著な地震被害を生じておらず、全国的に見ても地震活動性(サイスミシティ)の低い地域の一つであると云えよう」「福島原子力発電所敷地付近は、福島県内においても地震活動性(サイスミシティ)の低い地域であると考えることができる」「福島発電所敷地付近では、かつて震害を経験したことがないようである」と記されている。


  このような認識をもとに、上記設置許可申請書等においては、「クラスAsおよびクラスAの設計は、基盤における最大加速度0.18g(ジー)の地震動に対して安全であるように設計される」「クラスAsの施設については、上記の0.18gの1.5倍の加速度の地震動に対して、機能が損なわれないことも確かめる」とされた。0.18gは176Gal、0.18gの1.5倍(=0.27g)は265Galに相当する。265Galという最大加速度は、先行した敦賀原子力発電所1号機が、昭和23年福井地震(M7.1)を考慮して最大加速度368Galの機能保持検討用地震動を考慮したのに比べると、相当低い。単純にいうと、敦賀の方が福島の1.4倍ほど強いことになる(なお、Gal(ガル)とは、加速度の単位(cm/ 秒2)で地震の揺れの強さを数値として表現したものである。1gal(ガル)=1cm/秒2)。


  以上の地震活動性に関する見解と耐震設計の基本方針は、昭和41年11月17日に原子力委員会委員長から内閣総理大臣に提出された答申の中でそのまま踏襲・承認された。しかしながら、これらの想定は著しく甘いもので、当初の耐震設計は明らかに不十分だった。

  それでも、下記2以下で述べるような地震科学の発展、地震観測データの蓄積、耐震基準の引き上げなどに応じて耐震安全性の見直しと耐震補強を自発的に迅速に行えばよかったのだが、被告東電は最低限の改善すら怠っていた。したがって、プラントの部位によっては、このときの耐震脆弱性が本事故時まで残存していた疑いすらある。

2 福島第一原発付近における地震に関する知見の進展

 地球表層の地震・火山活動や地質・地形変動の原因を説明する「プレートテクトニクス」という理論が昭和43年に欧米で成立し、数年以内に日本列島にも広く適用されるようになった。これにより、北海道沖~三陸沖~茨城県沖でM7~8の大地震が繰り返し発生するという地震発生論が確立した。

 また、地震の震源の具体的イメージについては、昭和40年代に「地震源=震源断層面のずれ破壊」という「地震の断層模型論」が確立し、「プレート間地震」のイメージを具体化するとともに、昭和50年代以降には、地震源から放出される地震波による特定地点の地震動(揺れ)の計算も徐々にできるようになってきた。

 これらの知見によれば、福島第一原発は大規模なプレート沈み込み境界域に臨み、地球上でも有数の地震帯に位置することは明らかであり、発生時期は別として大地震が起こりうることは容易に予測できた。

3「旧指針」及びこれに基づく「バックチェック」

原子力委員会は、昭和53年9月に、「発電用原子炉施設に関する耐震設計審査指針」を制定した。その翌月に原子力安全委員会が発足し、同委員会は、昭和56年7月、建築基準法の改正を取り入れて、改めて同指針を策定した(以下「旧指針」という)。これは、原発の新設・増設の安全審査の際に、耐震設計方針の妥当性を評価するためのものであり、策定前に既に設置許可されていた原発に対して、遡って適用する(「バックフィット」と言われる)法的仕組みはなかった。

 旧指針策定から11年も経過した平成4年5月、資源エネルギー庁公益事業部(当時)は、電気事業連合会(以下「電事連」という)を通じて、被告東電をはじめとする原発事業者に対し、「バックチェック」(既設原発がその当時の新たな指針に照らしても安全かどうかを確認すること)を実施して結果を報告するよう求めた。これに対して被告東電は、平成6年3月、福島第一原発1~6号機のそれぞれについて「耐震性評価結果報告書」を提出した。同報告書においては、各号機とも、重要な配管の評価点のうち、発生応力値の許容値に対する割合が70%を超えるような点が複数存在し、約90%以上の箇所もあり、基準地震動がもっと大きくなった場合に課題を投げかける結果となった。


4 平成14年7月に発表された「長期評価」

政府の地震調査研究推進本部は、平成14年7月、「三陸沖から房総沖にかけての地震活動の長期評価について」(以下「長期評価」という。)を発表した。その中で、「1986年の明治三陸地震と同様の地震は、三陸沖北部から房総沖の海溝寄りの領域内のどこでも発生する可能性がある」「M8クラスの地震が、今後30年以内に20%の確率で発生する」と指摘されている。


5「新指針」及びこれに基づくバックチェックの不備

平成7年1月の阪神・淡路大震災を受け、原子力安全委員会が、平成18年9月、旧指針を改訂し(以下、改訂後の指針を「新指針」という)、保安院は、全国の原子力事業者に対して、新指針に照らした耐震バックチェックの実施と、そのための実施計画の作成を求めた。このとき保安院は、「バックチェックルール」(バックチェックの基本的考え方、評価手法、確認基準)の策定も行った。


なお、新指針においては、活断層の評価期間が過去5万年間から12万~13万年間になる、地震随伴事象(周辺斜面崩壊等、津波)が明記されるなどの変更がなされたが、実際には、基準地震動に関し、旧指針が大幅に強化されたとは言えない部分もあった。

【図】出典:国会事故調68頁より

 さらに保安院は、平成19年7月16日に発生した新潟県中越沖地震(M6.8)を受けて、可能な限り早期かつ確実に評価を完了できるよう、原子力事業者に実施計画の見直しを指示した。また、同年12月27日には中越沖地震の知見を耐震バックチェックに反映させるよう求めた。

 上記を受け、被告東電は、平成20年3月31日に、福島第一原発5号機に係る耐震バックチェック中間報告書を提出した。しかしながら、この際、被告東電は、主要7設備(原子炉圧力容器、原子炉格納容器、炉心支持構造物、残留熱除去系ポンプ、残留熱除去系配管、主蒸気系配管及び制御棒)についてしか報告をしておらず、その余の設備に関しては不明である。続いて、福島第一原発1~4号機及び6号機について中間報告書を提出したのはそれから1年以上が経過した平成21年6月19日であった。

 保安院は、同年7月21日には、福島第一原発5号機に係る耐震バックチェック中間報告書に対する評価結果を取りまとめ、平成22年7月26日には、福島第一原発3号機についても評価結果を公表したが、他の号機については何ら評価を実施しなかった。

 上記中間報告書提出後、被告東電は、福島第一原発についてほとんど耐震バックチェックを行わなかった。本件原発事故時において、4、5号機のごくわずかな箇所を除き、福島第一原発各号機の機器・配管系のバックチェックと耐震補強工事はなされていない状況であった。

 もっとも、被告東電は、耐震補強工事が多数必要であることは認識していた。すなわち、1号機の原子炉補機冷却水系配管(RCW配管)について基準地震動Ssに対する耐震安全性が確保されない見込みであること、1号機の水圧制御ユニット(HCU)耐震サポート架台金物部及び溶接部について引っ張り・せん断の組み合わせ応力の計算値が評価基準値を超えていること、柏崎刈羽原発の耐震補強工事を踏まえ配管・電路・ダクト・支持構造物について追設工事が必要であることを認識していた。


 その他、平成23年2月28日時点において、被告東電は、以下のとおり耐震補強工事が必要と認識していた。

【図】出典:国会事故調75頁より

その後、被告東電は、バックチェックに関する最終報告書の提出予定を、バックチェックの指示から約10年も先である、平成28年1月とした。他方で、保安院は、耐震バックチェックが遅れていることに懸念を抱きながらも、進捗管理を行っていなかった。

6 総合資源エネルギー調査会会合における岡村行信委員からの指摘

平成21年6月、総合資源エネルギー調査会の専門家会合において、福島第一原発5号機に係る中間報告書の妥当性を検討する過程で、岡村行信委員(独立行政法人産業技術総合研究所 活断層・地震研究センター長)は、塩屋崎沖地震と宮城県沖地震が連動するような地震、すなわち貞観地震規模の地震を考慮すべきとの指摘をしていた(総合資源エネルギー調査会原子力安全・保安部会 耐震・構造設計小委員会 地震・津波、地質・地盤合同WG 第33回議事録7頁)。

第2 被告東電の責任

1 はじめに

 被告東電は、本件原発事故の原因となった東日本大震災と同規模の地震が福島第一原発付近に起こりうること及び同地震により本件原発事故が発生しうることを予見していたかもしくは予見する可能性があり、これに基づき、本件原発事故を回避する義務があったにもかかわらずこれを怠った。これは、民法709条の過失にあたる。


2 地震の予見可能性

 上記第1で述べた地震に関する知見の進展や、耐震審査指針の制定及び改訂状況からすれば、被告東電は、長期評価が出された平成14年7月の段階で、もしくは、遅くとも岡村行信委員から連動地震の指摘がなされた平成21年6月の段階で、福島第一原発付近において、東日本大震災と同規模の地震が発生することを認識していたか、もしくは認識することができたことが明らかである。


3 結果回避可能性の存在及び結果回避義務違反

 上記第1で述べたとおり、被告東電は、福島第一原発各号機の地震に対する脆弱性を十分認識していたのであるから、少なくとも新指針に基づくバックチェックを十分に行うべきであった。さすれば、以下に述べるようなSB-LOCA(Small Break-loss of coolant accident、小破口冷却材喪失事故)等の事象を防ぐことができ、本件原発事故を回避することができた。

 しかるに、被告東電はバックチェックを怠り、新指針が制定された後も適切な対処を行わなかった。

 この点からして、被告東電は、福島第一原発周辺において大規模な地震が発生しても、それにより本件原発事故が発生することを回避することができ、かつ、回避する義務があったにもかかわらず、被告東電がこれを怠ったことは明らかである。


4 地震の本件原発事故に対する影響(国会事故調198頁)

(1)地震による外部電源の喪失

東日本大震災における地震の影響で、津波到達前に、外部電源が喪失した。


(2)地震による冷却材及び電源の喪失

 東日本大震災の際、福島第一原発を襲った地震動の最大加速度値及び基準地震動Ssに対する最大応答加速度値は以下のとおりである。

【表】出典:国会事故調199頁より

 1号機においては地震動により小破口冷却材喪失事故(SB-LOCA(Small Break loss of coolant accident)、=IC配管破断(国会事故調204頁、205頁、212頁)が発生した。

福島第一原発においては、東日本大震災の地震動後、上記のとおり外部電源が喪失したため、非常用ディーゼル発電機が炉心冷却機能を維持するための電源となっていた。そして、1号機においては3月11日午後3時35分から36分にA系の電源が、午後3時37分には1号機B系、2号機A系、午後3時38分に3号機A及びB系の電源が失われている。

 この点、国会事故調報告書215頁では、福島第一原発において、沖合1.5km地点を午後3時35分に通過した津波が、敷地高さ10m以上のところにある非常用ディーゼル発電機に達したのは午後3時37分より後であり、津波が達するより先に非常用電源は喪失していたとの指摘がなされている。

 したがって、地震動を原因として、冷却材が喪失し、電源も喪失し、本件事故に至ったことは明らかである。


(3)バックチェックが未了であったことの影響

1号機については、観測された最大加速度値が全て基準地震動Ssに対する最大応答加速度値を下回っており、想定内の地震動だった。それにも関わらず機器の損傷が発生したのは、基準地震動を前提とした耐震安全性が満たされていなかったからである。これは、バックチェック未了であり、あるいはSsを前提とした耐震安全性を求められていなかった施設が損傷したが故に生じたと言える(本訴状70頁及び72頁の図表参照)。

 2号機、3号機については、観測された最大加速度値が基準地震動Ssに対する最大応答加速度値を上回っているが、基準地震動の設定自体が、連動地震を前提としていない甘いものであり、十分な耐震性を備えていたとは言えない。


(4)地震によるその他の影響

 また、その他、地震動により発電所構内道路の隆起、沈降、陥没が発生したことにより、本件事故を防止するための作業が大きく妨げられたことも本件事故の大きな要因となった。具体的には、消防車による代替注水や電源車による仮設電源、格納容器ベントのライン構成及びそれらの継続的な運用において、大きな障害となったため、現場での事故対応が困難となり、更なる被害拡大に繋がった。

 これは、基準地震動Ssを前提とした耐震性がSクラス施設にのみ求められ、構内道路など周辺設備に求められていなかったから生じたことである。


(5)小括

以上のことから、地震が本件原発事故に大きな影響を与えたことは明らかである。

第3 被告国の責任

1 はじめに

 被告国は、本件原発事故の原因となった東日本大震災と同規模の地震が福島第一原発付近に起こりうること及び同地震により本件原発事故が発生しうることを予見していたかもしくは予見する可能性があり、これに基づき、本件原発事故を回避するために規制権限を行使する義務があったにもかかわらずこれを怠った。これは、国賠法1条1項の過失にあたる。


2 規制権限

第3章第2で述べたとおり、電気事業法39条において、事業用電気工作物設置者は事業用電気工作物を主務省令で定める技術基準に適用するよう維持しなければならないとされ、同法40条において主務大臣は技術基準に適合するように「事業用電気工作物を修理し、改造し、若しくは移転」するよう命令をおこない、耐震安全性を確保すべき旨事業者に義務付け、一時停止すべきことを命じ、又はその使用を制限することができるとされている。

 そして、主務省令である技術基準省令5条1項は、「原子炉施設並びに一次冷却材又は二次冷却材により駆動される蒸気タービン及びその附属設備は、これらに作用する地震力による損壊により公衆に放射線障害を及ぼさないように施設しなければならない。」とされ、同条2項においては「前項の地震力は、原子炉施設ならびに一次冷却材により駆動される蒸気タービンおよびその附属設備の構造ならびにこれらが損壊した場合における災害の程度に応じて、基礎地盤の状況、その地方における過去の地震記録に基づく震害の程度、地震活動の状況等を基礎として求めなければならない。」とされている。